皆さんこんにちは、ハトヤブと申します。前回の記事でトランプ政権に核施設を攻撃されたイランの事情に焦点を当てました。今回はイラン核施設への攻撃が決定された背景について掘り下げていこうと思います。
明暗が分かれた二つの国
核をめぐる外交については一期目のトランプ政権から注目されており、特に北朝鮮についてはトランプ大統領が史上初の米朝首脳会談を実現させるなど、平和的かつ劇的な展開を見せました。一方で、同じく核開発疑惑を抱えるイランに対しては、ご存じのように核施設への攻撃という強硬な手段に打って出たのです。なぜ、トランプ大統領は北朝鮮には武力行使をせず、イランには攻撃を決断したのでしょうか?本稿ではこの二国の明暗が分かれた理由を経緯をおさらいしつつ、独自の視点で迫っていこうと思います。ぜひ最後までお付き合いくださいね。
トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」と劇場型外交
まずはトランプ政権における外交の特徴について復習していきましょう。トランプ氏は一期目から「アメリカ・ファースト」を掲げていることは有名ですよね。この「アメリカ・ファースト」は単なるスローガンに留まらず、彼の外交政策の根幹をなす哲学でした。これは、国際協調よりも自国の利益を最優先し、時に既存の国際秩序や同盟関係を軽視する姿勢として現れました。
その典型的とも言える例の一つが、現在進行中のウクライナ問題における米国の支援姿勢です。トランプ氏は、ウクライナへの巨額の軍事支援について「見直すべき」と主張し、同盟国との費用負担の不均衡を繰り返し批判してきました。これこそ「アメリカ・ファースト」の精神に基づいた主張であり、他国の防衛や支援に自国の財源が過度に投入されることへの反発が形になったものです。
また彼の外交スタイルは、伝統的な外交儀礼や多国間協議よりも、首脳間の直接的な交渉、すなわち「トップダウン外交」を好む傾向が顕著です。時に欧州やウクライナとの関係を悪化させ、ロシアのプーチン大統領と頻繁に電話会談に興じるのは、その典型と言えるでしょう。
加えてトランプ外交のもう一つの特徴として挙げられるのが「劇場型外交」と評されるような感情的なパフォーマンスです。一番有名なのは2月28日に行われたウクライナのゼレンスキー大統領との会談において、公開の場で「喧嘩」に発展したことでしょう。これを皮切りにトランプ氏はウクライナへの支援を公然と止めるようになりました。
このようにメディアの注目を集め、常に自身の主導権をアピールし、時には論争を巻き起こすこと言動さえも交渉のテコとするのがトランプ氏の「マッドマンセオリー」と呼ばれる外交手法です。
では次の章からイランと北朝鮮という二つの核問題を抱える国家に対し、トランプ大統領がどんなアプローチをとったのか、具体的に経緯を振り返っていきましょう。
北朝鮮へのアプローチ:「トップダウン外交」の奇妙な成功
さっそく一期目のトランプ政権の対北朝鮮外交をおさらいをしてみようと思います。6年以上前に遡りますから、当時の記事を引用して解説させていただきます。
強硬姿勢からの転換と首脳会談
2016年に大統領に就任したトランプ大統領は、翌年の2017年から北朝鮮の核問題に取り掛かりました。当時はオバマ前政権の「戦略的忍耐」の結果、北朝鮮は着実な核開発とミサイル開発を継続しており、核弾頭を搭載したICBM(大陸間弾道ミサイル)の完成も時間の問題となっていました。
トランプ大統領を北朝鮮の核問題を「大きな問題である」と指摘し、これまでの政策を転換して圧力を強めることになります。彼は北朝鮮の指導者である金正恩総書記(当時は委員長)を「ロケットマン」と呼び、2017年9月19日の国連総会での演説では、北朝鮮が核開発を続けて米国や同盟国に脅威を及ぼすなら「完全に破壊する」とまで警告しました。
トランプ大統領は「米国は大きな力と忍耐を備えているが、自国や同盟国の防衛を迫られれば、北朝鮮を完全に破壊せざるをえない」と表明。金正恩委員長については自身が新たに使い始めた呼称「ロケットマン」を使って言及し、「ロケットマンは自分自身とその体制に対する自殺行為に及んでいる」とした。(出典:トランプ氏、北朝鮮の「完全破壊」警告 国連総会で初演説,AFPBBNEWS日本語版,2017.9.20.,https://www.afpbb.com/articles/-/3143513)
当然、北朝鮮はこれに猛反発し、両国間では激しい非難の応酬が繰り広げられることになります。トランプ氏は言葉だけでなく、具体的な軍事行動によっても圧力を高めていきました。三隻もの米空母打撃群を東アジアに派遣したのです。一触即発の危機とさえ言える状況が続き、世界は朝鮮半島の動向を固唾を飲んで見守っていました。しかし、この極限状態から、わずか数ヶ月後には誰も予想しなかった「対話」へと舵が切られることになります。
「朝鮮半島の非核化」の真意と軍事演習中止
2018年6月12日午後1時半、トランプ大統領はシンガポールで金正恩総書記と会談し「朝鮮半島の完全非核化」を含めた合意文章に署名しました。これは、前章で述べたような強硬姿勢からの急転直下の出来事でした。
ドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の会談が12日午後1時半(日本時間同2時半)ごろ、シンガポールで合意文書に署名した。朝から会談していた両首脳は互いに感謝し合い、トランプ氏は北朝鮮との関係や朝鮮半島の情勢は大きく変わると述べた。(出典:史上初の米朝首脳会談、文書に署名 「北朝鮮との関係は大きく変わる」,BBC NEWS日本語版,2018.6.12.,https://www.bbc.com/japanese/44447585)
この「朝鮮半島の完全非核化」という文言が、実に曲者でした。一見、北朝鮮の核放棄を指しているかと思いきや、その解釈は曖昧で、北朝鮮側にとっては、核を保有した米国が韓国から撤収することも含意されていたのです。実際、トランプ氏は会談後の記者会見で、長年継続されてきた定例の米韓合同軍事演習を「不適切である」と表明し、さらには在韓米軍の撤退まで示唆しました。
特に当時の韓国政権は、対北朝鮮融和政策を推進する親北朝鮮派の文在寅大統領が仕切っていましたから、米韓合同演習の中止はつつがなく進み、朝鮮半島の融和ムードは加速することになります。一期目においては、親交を深めた安倍首相や、同盟関係の重要性を理解する優秀な側近に恵まれていたため、これ以上踏み込むことはありませんでしたが、もし彼らの存在がなければ、在韓米軍の撤退などがより現実味を帯びていた可能性があります。
「ディール」よりも「友情」を優先した結末
不幸中の幸いといいますか、トランプ氏と金氏の蜜月による米朝融和ムードは、2019年2月28日をもって一旦の区切りを迎えることになります。同日、ベトナムの首都ハノイで行われた二回目の米朝首脳会談が物別れに終わったからです。
異変が起きたのは午後0時30分(日本時間午後2時30分)ごろ。予定されていた首脳同士の昼食会の開始が遅れているとの情報が流れ始めた。「決裂かもしれない」。プレスセンターが慌ただしくなった。昼食会はそのまま中止になった。米政府が「合意見送り」を正式発表すると海外メディアが相次いで速報した。(出典:米朝首脳の表情が一変 会談2日目の昼を境に,日本経済新聞,2019.2.28.,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41877400Y9A220C1FF1000/)
その背景は、北朝鮮が寧辺核施設の廃棄と引き換えに全ての制裁解除を求めたのに対し、米国側は北朝鮮側の提案ではそれに値しないと判断したためでした。シンガポールでの合意は「朝鮮半島の完全非核化」という大枠に留まり、核兵器やミサイルの具体的な廃棄スケジュール、検証方法といった詳細が一切盛り込まれていなかったため、実質的な進展は極めて限定的だったのです。
しかし、トランプ氏はこうした合意の曖昧さや決裂を、驚くほど問題視しませんでした。彼は金正恩氏との「個人的な友人関係」が、何よりも重要であると度々公言し、その関係性を優先する姿勢を崩しませんでした。ハノイでの決裂後も、彼は2019年6月には板門店で金正恩氏と電撃的に会談し、現職の米国大統領としては初めて軍事境界線を越えて北朝鮮側に入り、「友情」をアピールしました。
総じて、トランプ氏の北朝鮮へのアプローチは、具体的な核廃棄よりも、ツートップでの関係構築に重きが置かれたように見えます。結果として、北朝鮮への大規模な軍事攻撃は回避され、一時期の軍事的緊張は緩和されたものの、北朝鮮の核ミサイル開発そのものは、その後も着実に継続していったのです。
イランへのアプローチ:不信と「圧力」の行方
次にイラン核問題に対するトランプ外交の経緯を見ていきましょう。こちらは途中でバイデン政権を挟んでおりますが、トランプ氏の対イラン姿勢は一貫して強硬であり、その後の展開にも大きな影響を与え続けています。
イラン核合意(JCPOA)からの離脱
イランの核開発を巡っては、2015年にイランとP5+1(米国、英国、フランス、ロシア、中国、ドイツ)の間で、通称「イラン核合意」(正式名称:包括的共同行動計画、Joint Comprehensive Plan of Action: JCPOA)が締結されていました。この合意は、イランが核開発を大幅に制限する代わりに、国際社会が対イラン制裁を解除するというもので、国際原子力機関(IAEA)による厳格な査察も盛り込まれていました。
しかしこのJCPOAに対し、イスラエルは強く反発します。理由は合意のいくつかに「15年」という履行期間が定められているためで、イスラエルはイランが合意の履行期間終了後に再び核兵器開発に乗り出すと主張します。彼らにとって、イランの核兵器保有は国家の存亡に関わる脅威であり、この合意では不十分だと考えていたのです。
このようなイスラエルの強い主張にトランプ氏自身も同調しており、2018年5月にイラン核合意からの「一方的な離脱」を宣言しました。これは国際社会に大きな衝撃を与え、イランに対する経済制裁を再開・強化していく道を選んだのです。この決定は、イラン側の米国に対する不信感を一層増幅させる結果となりました。
アブラハム合意と中東の連鎖反応
JCPOAからの離脱と並行して、トランプ政権は中東における新たな外交戦略を展開しました。それが、2020年に立て続けに実現したイスラエルとアラブ諸国(アラブ首長国連邦、バーレーン、スーダン、モロッコ)の国交正常化を促す「アブラハム合意」です。
この合意は、米国の最新鋭ステルス戦闘機F-35の売却などを「ディール」として活用しながら、これまで敵対関係にあったアラブ諸国とイスラエルの関係改善を図るものでした。その最大の目的は、中東地域における共通の脅威であるイランに対する「包囲網」を構築し、イランの外交的孤立を深めることにありました。米国、イスラエル、そして穏健なアラブ諸国という新たな連携軸を作り出すことで、イランの地域覇権拡大を阻止しようとしたのです。

しかし、このアブラハム合意はパレスチナ問題を置き去りにしたことで、パレスチナ側の不満が高まり、そこにイランが付け入る結果を招きました。それが2023年10月7日に起こったハマースによるイスラエルへのテロ行為に繋がり、その後に続くガザ紛争、さらにはイランとイスラエルによる直接的な衝突へと発展してしまったのです。
強硬姿勢と「圧力」の極致
一期目のトランプ政権が終わり、後を引き継いだバイデン政権はイラン核合意の再建を目指しましたが、ほとんど進展することなく4年後のトランプ氏再登板を迎えます。ホワイトハウスに返り咲いた彼は以前と変わらぬ強硬姿勢で、核開発を巡る「交渉への圧力」をイランにかけ続けます。
そして2025年6月13日、イスラエルが突如としてイランの核施設に対する大規模な攻撃「ライジング・ライオン作戦」を開始しました。ナタンズやフォルドゥといった主要な核施設が標的となり、緊張は一気に高まります。このわずか数日後の6月21日には、トランプ大統領の指示の下、GBU-57A/Bバンカーバスターを搭載したステルス戦略爆撃機B-2が発進し、イランの主要核施設(ナタンズ、イスファハン、フォルドゥなど)への空爆を敢行しました。トランプ大統領は、この攻撃によって「イランの核濃縮能力を破壊した」と主張し、国際社会に向けてその成果を誇示したのです。
明暗を分けた決定的な要素
攻撃されずに核開発を続けられた北朝鮮と攻撃されてしまったイラン。この両国の明暗を分けたのは何だったのでしょうか?経緯を見ればいずれの国に対してもトランプ大統領は序盤では強い姿勢で挑んでおります。特に北朝鮮に対しては「完全に破壊」とまで警告していますから、単に「親イスラエルだから」で片づけられる話ではないでしょう。中国やロシアが北朝鮮の後ろ盾になっていることは周知の事実ですが、それはイランだって似たようなものです。両国の明暗を分けた要素について詳しく考察していきましょう。
要素その1:同盟国との利害の相違
まず挙げられるのは米国の同盟国の姿勢の違いです。北朝鮮の場合、直接脅威にさらされるはずの韓国が親北派の文在寅政権だったのが大きく影響しました。もう一つの同盟国である我が国も、軍事作戦には常に消極的であったことを忘れてはなりません。
加えて韓国の首都ソウルは北朝鮮との国境からわずか数十キロしか離れておらず、仮に軍事攻撃に踏み切れば多数の長距離砲やミサイルによる報復攻撃が予想され、米国情報機関は数日で数十万人の犠牲者が出ることを試算しております。トランプ氏はその自由奔放な性格に反してリスク管理は徹底する男なので、それほどの被害は到底許容できるものではありませんでした。
これに対しイランの場合は、イスラエルが強硬姿勢を崩さなかったことがトランプの政策に大きく影響しました。またイスラエルが配備するアイアンドームなどのミサイル防衛システムも報復攻撃に対して一定の堅牢性を持っており、トランプ氏にとってイラン攻撃に伴うリスクが相対的に低いと判断された可能性が高いです。さらに6月13日から始まったイスラエルの作戦により、イランの防空システムが著しく消耗したことも、彼の意思決定を強く後押しした可能性があります。
要素その2:対話への姿勢の違い
両国の明暗を分けたもう一つの決定的な要因は、それぞれの国が米国との「対話」に対してどのような姿勢を取ったか、という点にあります。
まず北朝鮮ですが、同国は核開発で危機を高めては対話に応じ、支援と引き換えに合意を結び、不満があれば合意を破って核開発を進め、再び対話に応じることを繰り返すという、ある種のパターン化された手法をとってきました。これは、核開発を外交カードとして用い、超大国である米国と対等に渡り合い、様々な譲歩を引き出そうとする彼らなりの戦略でした。そのためオバマ政権では非核化を前提としない交渉には応じない「戦略的忍耐」政策へ舵を取っていたのです。
しかし、トランプ大統領は金正恩総書記とのトップダウン交渉を強く求めました。前提条件を捨てたそれは皮肉にも北朝鮮側が最も望んでいたものでした。そしてシンガポールでの会談において「歴史的な会談」を演出することになったのです。トランプ氏やその支持者たちは「最大限の圧力でもって金正恩氏を交渉へ引きずり出した」と自慢しますが、実際は最大限の威嚇でメンツを保ちつつも、トランプ氏側が北朝鮮の望むツートップ交渉に「誘い出された」という側面が強いでしょう。
一方でイランの最高指導者ハメネイ師は、トランプ氏のようなリーダーとのトップダウンでの対話に極めて否定的でした。2019年6月13日にイランを訪問した安倍晋三首相(当時)が、米イラン間の仲介を試み、ハメネイ師と会談した際も、彼は米国の核合意離脱を「苦い経験」と称し、トランプ大統領との交渉を仲介する安倍首相の提案を無碍に跳ねのけていました。
ハメネイ師は「イランは米国を信頼しておらず、JCPOA(包括的共同作業計画=イラン核合意)の枠組みにおける米国との交渉での苦い経験を絶対繰り返さない」とし「賢明で誇りを持った国は圧力のもとでの交渉を受け入れないものだ」と語った。(出典:イラン最高指導者、トランプ氏への返答拒否 安倍首相と会談,ロイター通信日本語版,2019年6月13日, https://jp.reuters.com/article/iran-japan-usa-khamenei-idJPKCN1TE1AK)
しかし、このイラン側の姿勢が裏目に出ました。トランプ大統領は、自身の得意とするツートップ型の交渉への意欲を常に高く持っており、ハメネイ師や当時のイラン大統領(後にペゼシュキアン氏)と直接対談することに前向きだったのです。その一方で、交渉が不調のままイスラエルが行動を起こすなら、自分が先頭に立って参加すると明言しています。つまり、この時点で限定的な軍事介入を「交渉を強制するための圧力」として考えており、それはイラン側の交渉態度次第だとしていたのです。
要素その3:トランプの高い「自己顕示欲」
ここでさらにもう一つ、トランプ外交を決定づける大きな要素として「異様に高い自己顕示欲」があります。例えば不動産業をしていた彼の手掛ける事業では頻りに自身の名前を関した物件が多く登場します。トランプタワー、トランププラザ、トランプマリーナ、トランプタージマハル……。その名を聞けば、彼が自分自身をアピールすることにどれほど執着していたかが窺い知れます。
この自己顕示欲は、彼が大統領となってからも一貫して見られました。特に顕著なのがSNS、とりわけ旧Twitter(現X)や彼自身が作ったTruth Socialでの活動です。彼は政策発表から個人的な感情の吐露、さらには他国首脳や政敵への攻撃に至るまで、あらゆる情報を自ら発信し、常に世間の注目を集めようとしました。

このようなトランプ氏の強い自己顕示欲は単なる個人的な嗜好に留まらず、彼の外交アプローチに深く影響を与えたと考えられます。彼は、国際的な舞台で自分が「勝者」として描かれることに強い喜びを感じ、そのための「ディール(取引)」を何よりも重視しました。この「自己顕示欲を満たす」という内的な動機が、イランと北朝鮮という二つの国家に対する外交政策に多大な影響を与えました。
例えば対北朝鮮政策においてはツートップの会談をしながらも合意には至らず、最終的に北朝鮮の核開発は止められませんでした。しかしトランプ氏は史上初の米朝首脳会談という「歴史的偉業」によって自己顕示欲を満たしていたので、実質的な非核化が進まなくとも許容できたと考えられます。後の大統領選で「私は金正恩氏と友人だ」と誇らしげに語るのは、自分の「歴史的偉業」を誇示するためです。
しかしイラン政策では、指導者との直接対話という「歴史的偉業」が実現せず、自身の「トップダウン外交」が拒絶されたことでフラストレーションが蓄積していきます。そこにイスラエルの強い後押し、もっと言えばお膳立てもあったことで、米国史上初のイラン本土攻撃という強烈な手段を講じて自己顕示欲を満たすという結果になったのです。
トランプ外交の本質と教訓
以上のようにトランプ外交は「アメリカ・ファースト」を根幹とした米国の国益や戦略性を追求する側面だけでなく、彼個人の特異な性格(強い自己顕示欲)に大きく左右されるという、二つの顔を持っていることがわかります。これは彼だけに限ったことではなく、国際政治における国のリーダーの個性が、それを取り巻く国際関係・国内情勢と複雑に絡み合い、武力行使の選択という重大な結果に繋がりうることを、私たちは教訓とするべきでしょう。