ハトヤブの考察レポート

世の出来事の根本を掘り出して未来を予想する

第8章 中露開戦と日本共和国参戦|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■205×年~ 中露開戦と日本共和国参戦

中露開戦

 対印戦争、対蒙戦争は終わりが見えず、陸海空軍の軍費が増加の一途をたどっていた。そこで陸軍西部戦区司令員はロシアのインド支援を封じるため対露開戦を上奏する。皇帝はこれを退けるも、戦争の早期終結のための戦線拡大はやむなしと考えカザフスタン国内の支援道路へ攻撃を指示。一週間後遠征軍が同国内に浸入、インドへの支援物資を乗せた露軍輸送隊攻撃を試みる。しかし、動きを読んでいたロシアの護衛部隊と軍事衝突し結局中露戦争が勃発してしまう。

シドニー陥落

 一方オセアニアでは南部戦区海兵隊がついにオーストラリアの大都市シドニーを陥落させ、首都キャンベラに迫りつつあった。ここで戦争を終わらせたい中国政府は「降伏と非武装化を決断すれば全占領地の解放を検討する」と提案したが、オーストラリア政府は「信用できない」と降伏勧告を拒絶した。この時、北米連合原子力潜水艦を改造した輸送潜水艦によって西太平洋に侵入し、オーストラリアやインドに大規模な物資支援を開始していたのだ。それを知った中国軍は南海艦隊と西南海艦隊をして輸送路の寸断を試みるが、なかなか原潜をとらえることができず数に任せた対潜哨戒で戦力の分散を招いてしまう。結局、米潜水艦の物資支援によりオーストラリア軍は息を吹き返した。

日本共和国参戦

 状況を打開するため中国政府は日本共和国に哨戒部隊の援軍を求める。中国籍首相はここぞとばかりにこれに応じるも、軍事に関する知識が全くなかったため対豪戦線の援護と勘違いし、陸上自衛隊を乗せた輸送船を護衛もなしに向かわせた。その結果東シナ海航行中に米国の攻撃型原潜の攻撃によって全滅する事態になり、中国政府の信頼を買うどころか大いに失望させた。
 面目丸つぶれの首相は北京に呼び出され、外務次官の叱責を受けると共に自衛隊統制権を剥奪される。中国当局は日本の海自を東海艦隊に組み込んで特定東亜同盟艦隊(特東同)を新設し、東部戦区政治委員の指導下に置かせて南シナ海の対潜哨戒の援護を命じた。中国軍の指揮下に入った海自は屈辱を感じながらも対露潜水艦哨戒で培っていた能力を生かし、南シナ海に侵入した米原潜数隻を見事捕らえて撃沈することに成功する。

中国海軍基地襲撃事件

 一方、インド洋では日本の力を借りることを良しとしない南西海艦隊が総力を挙げて米潜水艦に対する哨戒活動を続けていた(その甲斐あって米原潜はインドに辿り着くことができなかった)。そのため戦力の分散が顕著になっており、潜水艦攻撃に脆弱な空母を含む大型艦艇はパキスタンの海軍基地に係留したままになっていた。これを見たインド軍は密かにパキスタンに特殊部隊を送り、同国の兵士と共謀して中国軍基地の急襲を実行する。結果、基地は制圧され南西艦隊の空母を含む50隻以上の艦艇が鹵獲された。同じ頃スリランカの基地でも襲撃が起こり、同じように多くの中国軍艦がインド軍の手にわたる。

グアム侵攻

 インド洋での襲撃事件に動揺した中国皇帝は南海艦隊に基地奪還を命じ、特東同には南シナ海の守護を命じた。しかし、これに不満を持った特東同政治委員は独断でグアム攻略を決定し攻撃を開始、改造ウイルスを大量に散布した後難なくグアム制圧を達成する(これ以降米軍人の間でremember guamが合言葉となった。因みに対地攻撃能力を持たない自衛艦は米潜水艦を見張るだけの木偶の棒になっていた)。かつての超大国相手の勝利に国中が沸き、同政治委員は命令違反にも関わらず表彰された。より一層の功名心に駆られた彼はさらにハワイへの進軍を計画するようになる。 

ノヴォシビルスク包囲戦

 その頃同じく功名心に駆られていた西部戦区陸軍の政治委員が幾度も増援を指示し対露戦線を拡大していた。やがて1万人規模にまで膨れ上がった遠征軍はロシア軍を押していき、シベリアの大都市ノヴォシビルスクを包囲するに至る。しかし、その年の記録的寒波の中、遠征軍内で酔っ払ったようになる奇妙な感染症が相次いだ(ロシアが仕掛けた生物兵器)。そこへロシア軍が反転攻勢をかけてきたので、遠征軍は半数近くの隊員と装備を失って撤退に追い込まれる。 
 だが、撤退中の遠征軍が中露国境を越えようかという時、突如モンゴル軍小隊の急襲を受ける。実はノヴォシビルスクでの出来事はロシア連邦情報局を通じてモンゴル軍に逐一伝えられていたのだ。そして背後からロシア空軍も追撃してきたので、挟撃された遠征軍は満足に反撃もできずに壊滅、将軍と数十人の兵士のみが蘭州に逃げ帰る事態になった。この敗北を境に中国は各戦線での優勢を徐々に失っていくことになる。

●北米

 連合の各国では対日戦争世論が盛り上がっていた。これは中国系と高麗系の団体がチャイナパージから身を守るために主張した「今の中国が世界覇権を目指しているのは悪魔国家日本にそそのかされたためだ」の言説が信じられているからである。一方、連合国議会は日本軍艦への限定的な攻撃は認めながらも、超大国中国との衝突を回避するため参戦をためらっていた(東シナ海で日本の輸送船のみが撃沈されたのもこれが理由である)。
 そんな中、中日連合軍「特東同」による原潜撃沈とグアム占領の知らせが飛び込み、さしもの連合国議会も日本とその背後にいる中国との戦争を決意せざるを得なくなる。そこで内戦時代に発展した3Dプリンターによる武器生産技術を活用し、連合各国に対艦・対空・対ステルス兵器の大量生産させてハワイ諸島に配備した。また、特定の人種(モンゴロイド系)にのみ感染させることのできる新型の殺人ウイルスを実用化し量産を始める。そして連合軍内で有志を募りオーストラリア軍陸上部隊の人的支援へ向けた訓練も開始した。
 外交ではロシアと政府間協議を行って日本への原油輸出停止を確約する。それによって日本は原油不足に悩まされるようになる(東アジアの原油メタンハイドレードは皆中国本国に優先して供給されるので日本は恩恵にあずかれない)。また、中国とその被支配国以外の国連構成国と盛んに意見交換を繰り返し、対中連携を確約していった。そしてロシアが開いたモスクワ緊急会合に参加する。かつての国連の主導国が参加することで、正式な理事会ではない同会合に強い政治的意味をもたらすことになった。

●日本

 国内では平和法闘争以来FEARの反乱が続いていた。FEARはものづくりで作りあげたアマチュア無線を広め、平和法闘争で家族を殺された日本籍住民、母国が敵国で肩身の狭い思いをしていた外国籍住民を中心に支持を拡大していた。また、京都で観光客として潜入してきたインド工作員を秘密裏に招き入れてアジア解放へ向けた意見交換を行った(カラオケブースで行われたことから京都カラオケ密談と呼ばれる。当時、中国社会の影響を受けてほとんどの都市で住民監視体制が整えられていた為、囮役が歌を歌うことで当局に盗聴され難くしていた)
 これに危機感を覚えた中国籍首相は中国政府の協力を仰ぎ、東部戦区の陸軍を全国に駐屯させて住民統制をより強めていく。メディアも中国を中心としたアジアの為に戦う事が正しいと訴え、それに少しでも疑問を呈するような言論をことごとく封じていった。だがこの強権姿勢は皮肉にも学校教育で教えられる「日帝時代の暗黒社会」とそっくり重なってしまい、中国籍を含めた多くの住民の反発を招く結果をもたらした。
 中露戦争が勃発した影響でロシア機や同国艦艇の挑発が相次ぐが、海自の護衛艦隊を中国軍に取られてしまった為対処できないでいた。そこで、首相は東部戦区軍の政治委員を招き入れて即応性を高めると共に、東海艦隊の巡回も強化してもらうことにした。そのため食料などの物資が同戦区軍や同艦隊に優先して供給されるようになり、住民の生活は瞬く間に困窮していく。さらにロシアの石油供給停止により家庭向けの配給がストップし夏場は熱中症死亡者が、冬場は凍死者が続出する。このことは国会で多数派を占める中国籍議員にも批判された。
 なお、東部戦区軍第二司令部として赤坂御用地を接収したので、元天皇旧皇族たちは東京を追われて田舎に赴くことになる(首相と結婚した元内親王とその息子だけは東京に留まることを許される)。その後彼らはFEAR所属の日本人民家に身を寄せる事になるが、それが結果的に皇族の血筋を守ることに繋がった。

●中国

 人民は対露開戦やグアム制圧に沸き立ち大戦の勝利を確信していた。数十年来、超大国に成長した自分たちはかつての大国など恐るに足らんと考えていたからだ。その上、メディアでも徹底した情報統制が敷かれており、不都合な状況は一切伝えられていなかった。当然、インド洋での事やノヴォシビルスク包囲戦の顛末は知る由もなかった。
 一方、田舎では戦争の長期化による慢性的鉄不足により、2030年代に造られた警察ロボットの更新ができず、老朽化を原因とした監視の穴が発生する。その穴をかいくぐって非漢民族や一部の漢民族は裏マーケットを通じて秘密結社を多数作り、日本のFEARと連携しながら監視のない自由な社会を目指していた。中でも勢力を伸ばしていったのは瀋陽市で結成された「瀋陽共和国政府」と台北市で結成された「台湾独立党」、後阮市(旧ホーチミン)で結成された「ベトナム再解放戦線」、ラサで結成された「仏教研究会」、オルドス市で結成された「モンゴル草原復活協会」、そしてウルムチで結成された「東ムスリム同胞団」である。彼らは後にインド工作員やロシア工作員と接触し中国変革へ向けた準備に取り掛かることになる。
 因みに琉球では琉球族のアイデンティティが消失していた上、軍による統制が厳しかったこともあり結社自体作られなかった。

●統一高麗

 対蒙戦争へ参戦していた高麗軍は北部戦区陸軍と共にドルイド県を制圧。エネルギー資源を強奪した他、各地に住む多くの部族を虐殺した。このことが戦争終盤と戦後での高麗に対する扱いに大きく影響することになる。

●インド

 陸軍は激闘の末アルナーチャル・プラデーシュ州の奪還に成功するが、それ以上進軍することはなかった。その代わり、襲撃した中国軍基地で手にいれた中国艦をかき集めてインド海軍の再構築を始めた。対中戦以降、潜水艦を除く多くの艦艇を失ったインド海軍だが、沿岸部や陸上での模擬的な訓練を続行していたため敵国の軍艦でも十分に使うことができたのだ。
 また、インド情報局は観光客を装って中国国内に工作員を潜入させ、各地の秘密結社と極秘に接触して対中戦連携を確約する(この時にインド国内を拠点としていた台湾亡命政府、ベトナム臨時政府、そしてパキスタンを拠点としていた東トルキスタンイスラム武装組織を引き合わせる事が出来た)。彼らは日本にも潜入し京都でFEARと接触を果たしてアジア解放へ向けた意見交換を行った(京都カラオケ密談。この活動には先に亡命した日本人も多いに関わっている)。

●オーストラリア

 オーストラリア大陸では中国海兵隊との熾烈な争いが繰り広げられていた。中国軍によってシドニーが陥落された時はチャイナパージの反動により、私刑や略奪など中国系以外に対する目を覆うような迫害が行われる(中国軍による戦争犯罪。占領が2年に渡り続いたことから後に「暗黒の2年間」と呼ばれる)。
 しかし、グアム占領を受けて北米連合が物資支援だけでなく人的支援も行うようになったため、当時最強を誇っていた中国海兵隊と互角の戦闘を継続することができ、最終的には撃退に成功することになる。

●ロシア

 政府は対中開戦を受けて中国非難声明を発表し、各国に呼び掛けてモスクワでの緊急会合を企画する(モスクワ緊急会合。ロシアの正史ではモスクワを本部とした安保理事会が開かれた事になっているが、国連本部が移された事実はなく、当事国である中国が呼ばれなかったことから正式な理事会とされていない)。
 ロシア連邦情報局もインドと同じく中国国内の秘密結社に接触しており、特に瀋陽共和国政府へは武器弾薬の支援を約束していた。また、中部戦区司令員にも秘密裏に工作を仕掛けていた。

●モンゴル

 軍はドルイド県を奪われながらも戦闘を継続していた。中露戦争が開始された時はその戦況をロシア連邦情報局から逐一伝えられていた。そのためノヴォシビルスク包囲戦で敗退した中国遠征軍を奇襲し、壊滅させることに成功する。


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