ハトヤブの考察レポート

世の出来事の根本を掘り出して未来を予想する

はてなブログ、アーカイブ化のお知らせ

 皆さんこんにちは、ハトヤブと申します。いつもお読みいただきありがとうございます。

※今後の最新記事は note にて更新していきます。

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 2024年5月より2025年末まで、 本ブログは主に中国問題などに焦点を当てた考察レポートを、noteと重複する形で投稿してきました。しかし、2026年からは note への投稿を主軸とし、はてなブログの更新を一旦休止することにいたしました。


 実は2019年からも「未来に予想される戦争と敗戦」というタイトルで はてなブログを3年間運用しておりました。当時は日本とアジア、そして世界の未来について想像をめぐらし、100年後の視点から歴史を振り返るような「シミュレーション戦記」を執筆し、2019年8月の敗戦の日に投稿したのが始まりでした。以降は、その世界観を軸にした悲観的でシニカルなアジア情勢の考察を続け、一人でも多くの日本国民が台頭する中国や自国の安全保障、そして未来について考えるきっかけになればと投稿を続けておりました。

 しかし、2022年2月のウクライナ戦争をきっかけに、私が描いていたシナリオとの剥離が大きくなり、新たなシミュレーション小説の作成なども試みるなど迷走するようになりました。さらに、当時私が抱いていたイメージとは異なり、岸田政権が日本の安全保障を大転換するなど、予想外の出来事が重なったことで、ブログを続ける意義が見いだせなくなり、Twitterアカウントと合わせて完全閉鎖に至りました。

 その後、一年ほどの冷却期間を得て、より多角的な視点で情勢を捉えるようになり、ブログを閉鎖してしまった後悔とともに、過去のエッセイを掘り起こし、新たな視点での考察も交えて皆さんにお伝えしたい気持ちが高まり、2024年5月に再びブログを開設しました。その際、他のクリエイターさんの影響もあり note のアカウントも開設し、使用感の確認も兼ねて同一内容の投稿を続けてきました。

 結果として、note の方が比較的順調に読者さんたちとの接点が増えている一方、はてなブログ側ではGoogleにインデックスされない記事が出るなど、重複投稿による影響が顕著になってきました。そこで前述のとおり、2026年を節目にnoteを主軸とし、はてなブログアーカイブとして残す方針に切り替えます。これまで投稿してきた記事をそのまま残しつつ、過去ブログに載せていた「シミュレーション戦記」などを再度投稿し、記録として整理していく予定です。

 はてなブログは、私にとって考察・意見発信の原点であるとともに、過去と現在を繋ぐ大切な場所です。定期的な更新はなくなりますが、必要に応じて過去作や補足情報を追加するなど、アーカイブとして静かに育てていければと思っております。

 最新の考察レポートは note にて更新していきますので、ぜひそちらもご覧いただければ幸いです。

最新の考察レポートはこちら

 

過去作「シミュレーション戦記」はこちら

 

シミュレーション戦記 |目次

 こちらは、2019年の旧ブログ「未来に予想される戦争と敗戦」に掲載された近未来シミュレーション戦記です。軍事的台頭する中国が台湾統一を成し遂げ、日本から尖閣諸島や沖縄を奪って完全な勢力下へ取り込み、アジアでの覇権を確立するシナリオとその後を描いたものです。

シミュレーション戦記<目次>

第1章 香港動乱と米国の変節

第2章 尖閣発砲事件

第3章 台湾武力統一

第4章 中日戦争

第5章 第三次中越戦争

第6章 中印戦争

第7章 オセアニア進出と中蒙開戦

第8章 中露開戦と日本共和国参戦

第9章 米国参戦と日中敗北

第10章  中国夢の終焉と日本分裂

 



第10章 中国夢の終焉と日本分裂|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■206×年~ 中国夢の終焉と日本分裂

 第三次世界大戦終結後、それまで中国の支配を受けてきた東南アジア諸国はその支配から逃れ、再び発展の道を歩み始める。また、西太平洋ではインドが地域覇権国としての存在感を増す一方で、同じ戦勝国であるはずのロシアとアメリカとオーストラリアは戦争にかけた投資以上の利益が得られず衰退していった(特にロシアとアメリカは多数の都市を核攻撃されたため、その復興に想像以上の時間と費用を要した)。
 一方、中国と高麗、そして日本はそれぞれ戦勝国に分割統治される事になる。そして、そのほとんどが分割されたまま国家として再建するか他国の領土と化した。

●統一高麗の戦後処理

 高麗軍は戦後、モンゴルとロシアに分割統治され中蒙戦争での戦争犯罪を(特にモンゴルに)しっかりと追及された。その後、高麗人のひたむきなナショナリズムが功を奏して独立と再統一を勝ち取るが、すぐに中国東北部に勢力を伸ばした瀋陽共和国(後述)に服属することになる。

●中国の戦後処理

 戦後モンゴルとロシア、インドに分割統治されベトナム民主主義共和国が主権を回復した他、東トルキスタン第二共和国やチベット国、台湾連邦(琉球を含む)が正式に国家として認められた。残った領地は戦争責任を負わなかった中部戦区軍司令員が復興を指導しようとするが、住民たちの自由への渇望を抑えることができず四分五裂となってしまう(司令員は後にロシアに亡命した後、同族の隠れ皇帝崇拝者に暗殺された)。結局、華北から中南までの内陸部は小国が乱立する不安定な地域となり事実上モンゴルやインドの管轄下に入る。そして、東北部と華東は戦争終盤から勢力を伸ばしていた瀋陽共和国政府が国家建設を成し遂げた(これが後にチャイナと呼ばれるようになる)。
 瀋陽共和国は民主制を取り入れたものの、重要なポストに元共産党員やその家族が就くことを禁じた(再び共産党が権力を握るのを防ぐため)。結果、長い間結社時代の要人が幾度となく再任される事となり、彼らが満州人の末裔であったことから第二の清国と揶揄された。とはいえ共産党による絶対的な支配は永遠に終局したのである。

●日本の戦後処理

 日本列島はロシア、北米連合、インド、オーストラリアの四か国で分割統治されることとなった(北海道と東北地方をロシア、本州の関東と中部までを北米連合、九州地方をオーストラリア、そして近畿・中国・四国地方をインドが統治するとした)。この分割された地域は主権を回復しても統合されることはなく、日本という言葉自体過去のものとなった(なお、元日本人や日系ハーフは東亜人と呼ばれるようになり新たな民族アイデンティティーを構築していく)。

〇サハリン共和国

サハリン共和国の国旗

 ロシアに軍事占領された北海道と戦後統治下に置かれた東北地方が、サハリン州と合併させられてできた連邦構成主体。ユジノサハリンスクを首都としておりロシア連邦軍が駐留している。ロシア人が多く流入しシベリアの中国人も移住してきているが、ロシア財政の都合でインフラの復興はほとんど進んでいない。政治は首長公選制で稲作が主産業。

〇東亜人民共和国

亜人民共和国の国旗

 北米連合の統治下に置かれた本州の関東と中部からなる国。第二次世界大戦後と違い、連合政府は財政難で復興への関与が消極的だったため、その政治的空白を埋めるように東亜総連の生き残りとアメリカ人民共和国の残党が権力の座に着いた。日本共和国継承を自称しており憲法日本国憲法(一条から八条を削除した状態で共和国憲法と呼んでいる)を採用しているが、復興を理由に施行は延期されており自由選挙も凍結状態にある。首都は東京。
 大陸本土から移民した中国人とアメリカのチャイナパージを逃れてきた中国系アメリカ人が多い。東亜人(旧日本人)もいるが虫けらのような扱いを受けている。日本列島全体の領有権を主張し周辺国との軍事衝突が耐えない軍事独裁国家である。

〇ナインステイツ連邦

ナインステイツ連邦の国旗

 オーストラリアの統治下に置かれた九州からなる英連邦加盟国で首都はラックヒルズシティ(旧福岡市)。占領国の財政難で当初復興はほとんど進んでなかったが、先に復興を成し遂げた台湾や東南アジアからの移民の増加で独自の発展を遂げる。しかし次第に豪州移民(白人)との間に亀裂が生じるようになり、地域によっては肌の色の違いで分離政策が行われている(遅れてきたアパルトヘイトと揶揄される)。

〇自由東アジア連邦(FEAU)

自由東アジア連邦の国旗

 インドの統治下に置かれた近畿・中国・四国地方からなる。インドの大国化と共に同地域も復興が進み、他の旧日本地域に抜きんでて主権を回復した。そのため国際社会では日本の後継国家と目されている。

 新政府の重要ポストは最初FEARの幹部が就いた後、民主制へ移行しており、多様な政党が存在している。政治体制はインドと同じ象徴大統領制で、初代大統領に元天皇が就任し戦後復興に取り組む住民の心の支えになった(任期満了後は元亡命日本人の計らいで復元された上京区へ移る)。首都はキュート(旧京都)。
 人口は日本列島で最も多く、インドは勿論アジア各国から移民が相次ぎさまざまな文化が入り混じるエキゾチックな社会となっている。後に東亜人の新大統領が就任した後は東亜人民共和国を念頭に軍備を増強しており、東アジアで存在感を増している。

上京区

日章旗

 FEAUの首都の中にある小さな立憲君主国。元亡命日本人の希望で復元された御所とその周辺の町々から成る。終戦後彼はFEAUの要職を断り、田舎の日本人宅に身を寄せていた元皇族や数百人もの天皇支持者達の協力を得て御所の復元に取り組んだ。そしてFEAU初代大統領としての任期を終えた元天皇を元首に迎え入れて独立を宣言する。古き良き日本文化(旧東亜文化と呼ばれる)の唯一の伝承地であり、建国二十年後にようやく正当な日本国の継承国に認められた。

 

著者追記(2026年1月2日)

 以上の全10章にわたるシナリオは「日本が中国の属国になったらどうなるか」「衰退していった日本はどうなるのか」について、他の歴史的事例(対ベトナム戦泥沼化、冬将軍による対露戦線崩壊)や過去にありえたシナリオ(第二次世界大戦後の日本分割統治案)、将来起こりうる新たな兵器や戦争の形(ウイルス兵器、宇宙戦争)、そして2010年代後半に噂として出回った中国の戦争計画「六場戦争」を参考にして創作したパロディであり、今の平和や国家の存続が永遠に保証されていないことを示す警鐘でもあります。その一方で「属国になって終わり」とはせずに、自由を渇望する人々の抵抗の成果によって中国共産党独裁体制も崩壊するという、シニカルなストーリーでもあり、親中派が図らずも「戦争協力者」になってしまうという、日中友好論へのアンチテーゼでもあります。

 実際は史実と異なる展開が多く存在し、特にウクライナ戦争は世界情勢や日本の政治に大きな影響を与えたため、私が描いたシナリオとは違った流れになっております(それは日本にとって良いことです)。その一方、AIの発展や中国の少子化など、予想を超えて早く進んだものもあるため、この「シミュレーション戦記」は私の中では過去の創作物の一つとして、その役割を終えた形となりました。今回、はてなブログアーカイブ化するにあたって、一部表現や矛盾したところを修正し、ここに残すことに致します。ただ将来への不安や中国への嫌悪感を募らせるのではなく、新たな時代の流れで自分がどんな役目を果たせるのかを想像するきっかけになればと思います。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。もしよろしければ、最新の考察レポートをnoteにて掲載しているのでご覧ください。

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第9章 米国参戦と日中敗北|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■~205×年 米国参戦と日中敗北

 周辺諸国との戦争で疲弊した中国はかつての優勢を失い、対印戦では旧国境線まで押し戻され、対露戦や対蒙戦でも防戦一方となっていた。モスクワでは中国を除いた国連主要国(と2カ国臨時政府)が集まり緊急会合が開かれた。この会合で中国は常任理事国より外される事が確定的となる(モスクワ緊急会合)。さらに対中制裁が取り決められ、それまで中国の一帯一路に参画していた中東や欧州、南米やアフリカ諸国もそれに応じた為、世界における中国の影響力は地に落ちることとなった。

太平洋島ウイルス戦争

 フィリピン海東部では特東同艦隊が政治委員の指示により、キリバスから接収していたカントン島に艦隊を集結させ、ハワイへの進軍に備えていた。数日後H-20によって大量のウイルス爆弾がハワイ島に投下されたが、既に住民らにワクチンは出回っていたため被害は少なかった。その後アメリカ側は海鳥を通して密かに殺人ウイルスをカントン島に散布し、島に駐留していた中国軍人と艦隊の船員たちは全員高熱にうなされた末に死に至る。その結果、無力化された基地と艦隊を米軍はほとんど傷つけることなく手に入れることができたのだった(ただし人工ウイルスについては予想以上の感染力と致死性の高さ故、後の作戦で使われることはなかった)。
 戦闘の様子は高高度超音速無人偵察機「無偵」が観測していたが何が起こったかわからず、その後艦隊がハワイ島パールハーバーに堂々と寄港(実際は鹵獲されて米軍によって運航)したことからオペレーターは自国軍が勝利したと誤認した。 

キャンベラ攻防戦

 その頃、オーストラリア大陸東海岸では首都キャンベラを巡って中豪両国の軍が熾烈な戦いを繰り広げていた。「無偵」の報告を受けた南部戦区海兵隊将軍は特東同政治委員に対し援軍を要請し、色よい返事を受ける。数週間後約束通り艦隊が近づくが、それは特東同艦隊を流用した米艦隊だった。(本物の特東同隊員はハワイ島で検査・解剖をを受けたのち火葬された)。陸海から挟撃を受けた南部戦区海兵隊はなすすべなく壊滅し多くの隊員が戦死した。

アラビア海の戦い

 一方、インド洋アラビア海では南海・南西海連合艦隊とインド海軍が正面衝突し、両軍に被害が拡大していた。インド海軍は沿岸部の火器を頼りにしながら近づく敵艦に攻撃を加え続け、消耗戦を強いていた。対する連合艦隊は数で押そうとするも決め手に欠けたまま、疲弊していく。そこに対豪戦線崩壊の知らせが届き艦隊司令員はひとまず南シナ海に戻ろうと判断したが、戦績にこだわった政治委員は攻撃継続を命じ引くことを良しとしなかった。その結果南シナ海への米艦隊の侵入を許してしまい、ベンガル湾のインド海軍と合流してアンダマン・ニコバル諸島を奪還されてしまう。退路を断たれ孤立した中国艦隊はますます勢いを失い、弾薬が不足したところへ米原潜の急襲を受け指揮官を失い散り散りになってしまう。

ウルムチ蜂起と結社革命

 中国政府にも対豪戦線崩壊の知らせが届き皇帝は動揺するが、それ以上に一帯一路の協力国が制裁に参加したことが痛手だった。それによって中国国内はAI計画経済が急速に行き詰まり、政府に対する人民の不満が一気に高まってしまう。そんな中、新疆で活動していた東ムスリム同胞団が、老朽化した警備ロボットを破壊してウルムチを占拠する。皇帝が即鎮圧を命じたが西部戦区軍は対印戦と対露戦で疲弊しており、新疆の南西から浸入した東トルキスタンイスラム武装組織の急襲まで受けて次々と敗走を重ねた。
 中国軍の弱体化をアマチュア無線(当時政治中枢や富裕層ではニュートリノ通信が一般化しており、時代遅れの通信は監視の抜け穴になっていた)で知った中国各地の秘密結社は革命へ向けた活動を本格化させる。北部では瀋陽共和国政府がロシアから武器供与を受けて北部戦区軍を背後から奇襲し混乱させる。北部戦区軍は対蒙戦線を維持できなくなり、ロシア空軍の爆撃も相まって壊滅に追いやられた。南部でもベトナム再解放戦線の一斉蜂起を受け、南部戦区軍は抗戦の末に敗北した。

露蒙連合軍南下と五か国天安門宣言

 残った中部戦区軍だけでは中国全土に広がる暴動を抑えられず、国防にも手が回らなくなった為ついにロシア軍とモンゴル軍が対中国境線から南下し始める。そして数日後、統一高麗がロシア軍の急襲を受け占領された(この時、高麗政府は中国との非同盟を主張したが、対蒙戦での事を知っていた露軍司令官は容赦せず、高麗は無条件降伏せざるを得なかった)。その後、ロシアとモンゴルの連合軍が北京に迫っていく。
 窮地に陥った皇帝は中部戦区軍を連れて南京に逃れた(21世紀版長征。北京市の人民達も大勢後を追う大移動となった)。そして同日、ロシアとモンゴルの連合軍が北京に入り軍事占拠する。そして天安門広場ロシア連邦大統領とモンゴル国大統領、ニュートリノ通信を通してインド首相とオーストラリア首相、北米連合大統領が共同で中国と日本へ最終通告を宣言する(五か国天安門宣言と呼ばれ、毛沢東の建国宣言と対比されて共産党政治の終わりを象徴するものとなる。東アジアと占領地の解放と民主化、交易の自由化、日中両国の政府高官と軍幹部などの身柄引き渡しが要求された。応じない場合核兵器の使用が言及された)。

日本(中国軍政)による降伏拒否

 宣言を受けて日本政府はパニックに陥った。この時北海道では講和条約を破ってロシア軍が南下を始めており、周辺海域も中国の哨戒部隊を蹴散らしたロシア海軍支配下におさめていた。そのため政府はロシア軍を迎撃するためのさらなる援軍を北京に依頼しようとしていたところだったのだ。国会では日本国籍議員の全員が即時降伏を主張し、中国籍首相の不手際を非難して辞任を迫った。この動きに多数派の中国籍議員らも同調したため、オール与党であるにもかかわらず数十年ぶりの内閣不信任決議が採択される。
 窮地の真っ只中でも政争に明け暮れる日本政治に業を煮やした東部戦区軍政治委員は駐留軍をして国会を占拠し首相以下政府関係者を地下(核シェルターの機能があった)に監禁した。そして急遽軍政を敷き、メディアを通して戦争継続を住民に呼び掛け、五か国天安門宣言を明確に拒絶した。東亜総連も住民たちに武器を配布して義勇兵を募り、軍政の徹底抗戦を熱狂的に支持した。だが、誰も北海道防衛に参加する者はおらず配布された武器もFEARや敵国籍住民への私刑に使われる。結局、国家としての尊厳を捨てた日本は、戦うこともせずに北海道全域をロシアに明け渡したのである。

皇帝の演説、核戦争

 一方、首都を占領されプライドを深く傷つけられた中国皇帝は国営放送局に乗り込んで国際テレビ放送で一時間にわたる演説を開始する。曰く「我ら偉大なる中華民族は人類文明の偉大なる祖であり、これまでも偉大な歴史的・文化的貢献を幾度となくしてきた。したがって、我らに対する攻撃は即ち偉大なる人類への攻撃と同義であり、その無謀かつ罪深き振る舞いは我らの偉大なる技術の結晶によって一人残らず滅ぼされるだろう」というウルトラエスノセントリズムな声明だった。この時皇帝は世界各国への核攻撃を決心しており、各地のミサイルサイロ、海底に潜む弾道ミサイル原潜に攻撃命令を発していた。
 これを察した中部戦区軍司令員は警備ロボットを操作してクーデターを起こし皇帝を拘束する。しかし、一部の核ミサイルが止められず米国とロシアの主要都市に着弾した(後日、同司令員がロシアの工作を受けていたことから米国をわざと攻撃させたという陰謀論が出たが、ロシアも被害を受けているためすぐに否定された)。その結果両国の原潜からの核報復を受けて、中国や日本の主要都市が焦土になり多くの住民が亡くなった(日本にとっては六度目の核被害。2030年代の中国市民の願望が叶った形だが自らが住む都市も焦土にされるという皮肉な結末となった)。

北京裁判

 廃墟となった南京で皇帝の身柄引き渡しが行われ、日本の首相もシェルターの中で五か国天安門宣言を受諾して第三次世界大戦終結した。後日、北京に建設されていた旧国連本部で裁判が行われ、中国皇帝並びに日本首相と統一高麗委員長、日中高麗政府関係者、自衛隊幹部および中国・高麗軍将校、そして戦争を扇動し敵国籍住民を大勢迫害した東亜総連幹部に死刑判決が下された(クーデターを起こした中部戦区司令員だけは罪を逃れた)。


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第8章 中露開戦と日本共和国参戦|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■205×年~ 中露開戦と日本共和国参戦

中露開戦

 対印戦争、対蒙戦争は終わりが見えず、陸海空軍の軍費が増加の一途をたどっていた。そこで陸軍西部戦区司令員はロシアのインド支援を封じるため対露開戦を上奏する。皇帝はこれを退けるも、戦争の早期終結のための戦線拡大はやむなしと考えカザフスタン国内の支援道路へ攻撃を指示。一週間後遠征軍が同国内に浸入、インドへの支援物資を乗せた露軍輸送隊攻撃を試みる。しかし、動きを読んでいたロシアの護衛部隊と軍事衝突し結局中露戦争が勃発してしまう。

シドニー陥落

 一方オセアニアでは南部戦区海兵隊がついにオーストラリアの大都市シドニーを陥落させ、首都キャンベラに迫りつつあった。ここで戦争を終わらせたい中国政府は「降伏と非武装化を決断すれば全占領地の解放を検討する」と提案したが、オーストラリア政府は「信用できない」と降伏勧告を拒絶した。この時、北米連合原子力潜水艦を改造した輸送潜水艦によって西太平洋に侵入し、オーストラリアやインドに大規模な物資支援を開始していたのだ。それを知った中国軍は南海艦隊と西南海艦隊をして輸送路の寸断を試みるが、なかなか原潜をとらえることができず数に任せた対潜哨戒で戦力の分散を招いてしまう。結局、米潜水艦の物資支援によりオーストラリア軍は息を吹き返した。

日本共和国参戦

 状況を打開するため中国政府は日本共和国に哨戒部隊の援軍を求める。中国籍首相はここぞとばかりにこれに応じるも、軍事に関する知識が全くなかったため対豪戦線の援護と勘違いし、陸上自衛隊を乗せた輸送船を護衛もなしに向かわせた。その結果東シナ海航行中に米国の攻撃型原潜の攻撃によって全滅する事態になり、中国政府の信頼を買うどころか大いに失望させた。
 面目丸つぶれの首相は北京に呼び出され、外務次官の叱責を受けると共に自衛隊統制権を剥奪される。中国当局は日本の海自を東海艦隊に組み込んで特定東亜同盟艦隊(特東同)を新設し、東部戦区政治委員の指導下に置かせて南シナ海の対潜哨戒の援護を命じた。中国軍の指揮下に入った海自は屈辱を感じながらも対露潜水艦哨戒で培っていた能力を生かし、南シナ海に侵入した米原潜数隻を見事捕らえて撃沈することに成功する。

中国海軍基地襲撃事件

 一方、インド洋では日本の力を借りることを良しとしない南西海艦隊が総力を挙げて米潜水艦に対する哨戒活動を続けていた(その甲斐あって米原潜はインドに辿り着くことができなかった)。そのため戦力の分散が顕著になっており、潜水艦攻撃に脆弱な空母を含む大型艦艇はパキスタンの海軍基地に係留したままになっていた。これを見たインド軍は密かにパキスタンに特殊部隊を送り、同国の兵士と共謀して中国軍基地の急襲を実行する。結果、基地は制圧され南西艦隊の空母を含む50隻以上の艦艇が鹵獲された。同じ頃スリランカの基地でも襲撃が起こり、同じように多くの中国軍艦がインド軍の手にわたる。

グアム侵攻

 インド洋での襲撃事件に動揺した中国皇帝は南海艦隊に基地奪還を命じ、特東同には南シナ海の守護を命じた。しかし、これに不満を持った特東同政治委員は独断でグアム攻略を決定し攻撃を開始、改造ウイルスを大量に散布した後難なくグアム制圧を達成する(これ以降米軍人の間でremember guamが合言葉となった。因みに対地攻撃能力を持たない自衛艦は米潜水艦を見張るだけの木偶の棒になっていた)。かつての超大国相手の勝利に国中が沸き、同政治委員は命令違反にも関わらず表彰された。より一層の功名心に駆られた彼はさらにハワイへの進軍を計画するようになる。 

ノヴォシビルスク包囲戦

 その頃同じく功名心に駆られていた西部戦区陸軍の政治委員が幾度も増援を指示し対露戦線を拡大していた。やがて1万人規模にまで膨れ上がった遠征軍はロシア軍を押していき、シベリアの大都市ノヴォシビルスクを包囲するに至る。しかし、その年の記録的寒波の中、遠征軍内で酔っ払ったようになる奇妙な感染症が相次いだ(ロシアが仕掛けた生物兵器)。そこへロシア軍が反転攻勢をかけてきたので、遠征軍は半数近くの隊員と装備を失って撤退に追い込まれる。 
 だが、撤退中の遠征軍が中露国境を越えようかという時、突如モンゴル軍小隊の急襲を受ける。実はノヴォシビルスクでの出来事はロシア連邦情報局を通じてモンゴル軍に逐一伝えられていたのだ。そして背後からロシア空軍も追撃してきたので、挟撃された遠征軍は満足に反撃もできずに壊滅、将軍と数十人の兵士のみが蘭州に逃げ帰る事態になった。この敗北を境に中国は各戦線での優勢を徐々に失っていくことになる。

●北米

 連合の各国では対日戦争世論が盛り上がっていた。これは中国系と高麗系の団体がチャイナパージから身を守るために主張した「今の中国が世界覇権を目指しているのは悪魔国家日本にそそのかされたためだ」の言説が信じられているからである。一方、連合国議会は日本軍艦への限定的な攻撃は認めながらも、超大国中国との衝突を回避するため参戦をためらっていた(東シナ海で日本の輸送船のみが撃沈されたのもこれが理由である)。
 そんな中、中日連合軍「特東同」による原潜撃沈とグアム占領の知らせが飛び込み、さしもの連合国議会も日本とその背後にいる中国との戦争を決意せざるを得なくなる。そこで内戦時代に発展した3Dプリンターによる武器生産技術を活用し、連合各国に対艦・対空・対ステルス兵器の大量生産させてハワイ諸島に配備した。また、特定の人種(モンゴロイド系)にのみ感染させることのできる新型の殺人ウイルスを実用化し量産を始める。そして連合軍内で有志を募りオーストラリア軍陸上部隊の人的支援へ向けた訓練も開始した。
 外交ではロシアと政府間協議を行って日本への原油輸出停止を確約する。それによって日本は原油不足に悩まされるようになる(東アジアの原油メタンハイドレードは皆中国本国に優先して供給されるので日本は恩恵にあずかれない)。また、中国とその被支配国以外の国連構成国と盛んに意見交換を繰り返し、対中連携を確約していった。そしてロシアが開いたモスクワ緊急会合に参加する。かつての国連の主導国が参加することで、正式な理事会ではない同会合に強い政治的意味をもたらすことになった。

●日本

 国内では平和法闘争以来FEARの反乱が続いていた。FEARはものづくりで作りあげたアマチュア無線を広め、平和法闘争で家族を殺された日本籍住民、母国が敵国で肩身の狭い思いをしていた外国籍住民を中心に支持を拡大していた。また、京都で観光客として潜入してきたインド工作員を秘密裏に招き入れてアジア解放へ向けた意見交換を行った(カラオケブースで行われたことから京都カラオケ密談と呼ばれる。当時、中国社会の影響を受けてほとんどの都市で住民監視体制が整えられていた為、囮役が歌を歌うことで当局に盗聴され難くしていた)
 これに危機感を覚えた中国籍首相は中国政府の協力を仰ぎ、東部戦区の陸軍を全国に駐屯させて住民統制をより強めていく。メディアも中国を中心としたアジアの為に戦う事が正しいと訴え、それに少しでも疑問を呈するような言論をことごとく封じていった。だがこの強権姿勢は皮肉にも学校教育で教えられる「日帝時代の暗黒社会」とそっくり重なってしまい、中国籍を含めた多くの住民の反発を招く結果をもたらした。
 中露戦争が勃発した影響でロシア機や同国艦艇の挑発が相次ぐが、海自の護衛艦隊を中国軍に取られてしまった為対処できないでいた。そこで、首相は東部戦区軍の政治委員を招き入れて即応性を高めると共に、東海艦隊の巡回も強化してもらうことにした。そのため食料などの物資が同戦区軍や同艦隊に優先して供給されるようになり、住民の生活は瞬く間に困窮していく。さらにロシアの石油供給停止により家庭向けの配給がストップし夏場は熱中症死亡者が、冬場は凍死者が続出する。このことは国会で多数派を占める中国籍議員にも批判された。
 なお、東部戦区軍第二司令部として赤坂御用地を接収したので、元天皇旧皇族たちは東京を追われて田舎に赴くことになる(首相と結婚した元内親王とその息子だけは東京に留まることを許される)。その後彼らはFEAR所属の日本人民家に身を寄せる事になるが、それが結果的に皇族の血筋を守ることに繋がった。

●中国

 人民は対露開戦やグアム制圧に沸き立ち大戦の勝利を確信していた。数十年来、超大国に成長した自分たちはかつての大国など恐るに足らんと考えていたからだ。その上、メディアでも徹底した情報統制が敷かれており、不都合な状況は一切伝えられていなかった。当然、インド洋での事やノヴォシビルスク包囲戦の顛末は知る由もなかった。
 一方、田舎では戦争の長期化による慢性的鉄不足により、2030年代に造られた警察ロボットの更新ができず、老朽化を原因とした監視の穴が発生する。その穴をかいくぐって非漢民族や一部の漢民族は裏マーケットを通じて秘密結社を多数作り、日本のFEARと連携しながら監視のない自由な社会を目指していた。中でも勢力を伸ばしていったのは瀋陽市で結成された「瀋陽共和国政府」と台北市で結成された「台湾独立党」、後阮市(旧ホーチミン)で結成された「ベトナム再解放戦線」、ラサで結成された「仏教研究会」、オルドス市で結成された「モンゴル草原復活協会」、そしてウルムチで結成された「東ムスリム同胞団」である。彼らは後にインド工作員やロシア工作員と接触し中国変革へ向けた準備に取り掛かることになる。
 因みに琉球では琉球族のアイデンティティが消失していた上、軍による統制が厳しかったこともあり結社自体作られなかった。

●統一高麗

 対蒙戦争へ参戦していた高麗軍は北部戦区陸軍と共にドルイド県を制圧。エネルギー資源を強奪した他、各地に住む多くの部族を虐殺した。このことが戦争終盤と戦後での高麗に対する扱いに大きく影響することになる。

●インド

 陸軍は激闘の末アルナーチャル・プラデーシュ州の奪還に成功するが、それ以上進軍することはなかった。その代わり、襲撃した中国軍基地で手にいれた中国艦をかき集めてインド海軍の再構築を始めた。対中戦以降、潜水艦を除く多くの艦艇を失ったインド海軍だが、沿岸部や陸上での模擬的な訓練を続行していたため敵国の軍艦でも十分に使うことができたのだ。
 また、インド情報局は観光客を装って中国国内に工作員を潜入させ、各地の秘密結社と極秘に接触して対中戦連携を確約する(この時にインド国内を拠点としていた台湾亡命政府、ベトナム臨時政府、そしてパキスタンを拠点としていた東トルキスタンイスラム武装組織を引き合わせる事が出来た)。彼らは日本にも潜入し京都でFEARと接触を果たしてアジア解放へ向けた意見交換を行った(京都カラオケ密談。この活動には先に亡命した日本人も多いに関わっている)。

●オーストラリア

 オーストラリア大陸では中国海兵隊との熾烈な争いが繰り広げられていた。中国軍によってシドニーが陥落された時はチャイナパージの反動により、私刑や略奪など中国系以外に対する目を覆うような迫害が行われる(中国軍による戦争犯罪。占領が2年に渡り続いたことから後に「暗黒の2年間」と呼ばれる)。
 しかし、グアム占領を受けて北米連合が物資支援だけでなく人的支援も行うようになったため、当時最強を誇っていた中国海兵隊と互角の戦闘を継続することができ、最終的には撃退に成功することになる。

●ロシア

 政府は対中開戦を受けて中国非難声明を発表し、各国に呼び掛けてモスクワでの緊急会合を企画する(モスクワ緊急会合。ロシアの正史ではモスクワを本部とした安保理事会が開かれた事になっているが、国連本部が移された事実はなく、当事国である中国が呼ばれなかったことから正式な理事会とされていない)。
 ロシア連邦情報局もインドと同じく中国国内の秘密結社に接触しており、特に瀋陽共和国政府へは武器弾薬の支援を約束していた。また、中部戦区司令員にも秘密裏に工作を仕掛けていた。

●モンゴル

 軍はドルイド県を奪われながらも戦闘を継続していた。中露戦争が開始された時はその戦況をロシア連邦情報局から逐一伝えられていた。そのためノヴォシビルスク包囲戦で敗退した中国遠征軍を奇襲し、壊滅させることに成功する。


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第7章 オセアニア進出と中蒙開戦|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■205×年~ オセアニア進出と中蒙開戦(第3次世界大戦)

オセアニア緊張

 中国は長年、バヌアツやパプアニューギニアなどのオセアニアの島国に開発支援をしており、その見返りとして東南アジアと同様に海軍基地建設を進めていた。これを警戒したオーストラリアは中印戦争においてインドを水面下で支援し、外交上では中国との対立を深めていた。
 そんな中、記録的大干ばつが東アジア各国で起こり、極めて深刻な水不足に見舞われる。これを受けて日本からの水輸出が増えるが需要に供給が追い付かず、水価格の高騰をもたらす。そこで中国政府は日本からの水輸出を自国も含めた東アジアの国に限定し、優先的に水が供給されるようにした。これによってオーストラリアは日本の水を輸入できなくなり、畜産業が壊滅的打撃を受ける。さらに対印戦争の長期化を受けて中国がインド洋と南シナ海の航行制限を強化したため、他の輸出入も滞るようになる(中国共産党支部を受け入れた企業ですら交易を制限されたり、高い通航量を取られたりした)。
 そこで、オーストラリア政府は抗議の意思表示のため、インド洋での航行の自由作戦を実行。東アジア新秩序管理外の商船団の航行を強行させる。そして、インドへの支援も公然と行い国際社会に対中連携を訴えた。

ティモール海事変

 これを受けて中国皇帝はインド軍との挟撃を恐れ、秩序への挑戦者として対豪戦争を決意(海軍や南部戦区軍からの圧力もあったとされる)し南海艦隊にティモール海侵攻を命じた。改造ウイルスを投入することで戦況は中国海軍にとって有利に進み、オーストラリア海軍はあっさり壊滅し、そのままダーウィン市をはじめとするオーストラリア大陸北部沿岸を占領するに至る。さらにそこからシドニーなどの主要都市へ艦上機による爆撃が敢行され、支配地域を徐々に拡大していった。

モンゴル核密輸疑惑

 同じ頃「モンゴルが核密輸を計画している」という疑惑が中国国内で持ち上がり、国際問題にまで発展する。モンゴル代表は「事実無根」と訴えるも、中国はモンゴル領の一部を非核化のために自国の信託統治にするべきと告げる。モンゴル政府は不服として中国軍の受け入れを拒否した。

中蒙開戦

 モンゴル政府の態度に中国国内では「外モンゴル武力統合」が叫ばれ、北部戦区陸軍も政府に開戦への圧力を加える。これに屈した皇帝は急ぎモスクワに飛んでロシア連邦大統領と会談し、紛争相手国の支援を禁じた準同盟関係を持ちかけたが拒絶された。結局、ロシアとは互いの核心的利益を侵害しない不可侵条約を結ぶに留まった(中露相互利益不可侵条約)。その後、H-20によるウランバートル市の爆撃をきっかけに中蒙戦争が勃発する(ウランバートル空爆事件。事前工作の余裕がなかったため改造ウイルスを詰めた生物爆弾を使用するあからさまに国際条約を反故にした所業だった)。
 当初首都ウイルス爆撃に成功した中国軍はあっという間に戦争終結できると思っていた。しかし、事前にワクチンを接種していたモンゴル軍の被害は軽く、モンゴル領に侵入した北部戦区軍は高度に訓練され最新の兵器を携えた小隊の散発的な襲撃を受けて思ったように進軍できなかった。また、H-20による二度目の空爆もモンゴル空軍や国籍不明機(ロシア機)に撃墜される事案が多発し、次第に有効打を打てなくなった。そのためこの戦いも中印戦争同様に長期化し、中国のさらなる疲弊を招くことになる。 

その頃、世界は──

●北米

 かつての米国では内戦終結以降、各州の権限が独立国並みに高められEUのような連合体制をとることが決定した(北米連合と呼ばれる。昔構想された北米大陸統合案とは別物である)。その後合衆国議会は連合議会と改められ、強権政治の反省から大統領の権限も大幅に減じられた。
 その後連合議会は中国のインド洋支配及びオセアニア進出に警戒感を高め、ハワイ州国で大統領がインド首相とオーストラリア首相と会談する(ホノルル会談)。その後、連合各国でオーストラリアとインドの支援へ向けた準備が進められる。
 ただ、運用している軍艦のほとんどが艦齢50年を越えており、軍用機に至っては民間機用の部品を代用したキメラ状態になっていた為、まともに投入できる状態ではなかった。だが、内戦期もひたむきに整備と更新を繰り返していた原子力潜水艦は世界最高水準を維持していたため、それを使った極秘の物資支援を計画するようになる。
 なお、中国が戦略的に使用する「改造ウイルス」が世界規模のジェノサイドに使われる危険性を恐れた研究者たちは、それを上回る性能を持ったウイルスの開発に乗り出す。

●日本

 ついに天皇制廃止を決める住民投票(ただし中国本土からの旅行者にも投票権が与えられたため厳密には住民投票ではない)が行われ、僅差で廃止が確定した。天皇の資産は特殊法人としてまとめられ、千代田区の皇居より立ち退きが決定する(東京行幸の終焉)。しかし東連党が与党となっている京都議会が御所への受け入れ(京都還幸)を拒否したため、一時措置として赤坂御用地に身を寄せる事態になった(天皇居住地未確定問題)。その次の年、今上天皇退位をもって二千年以上続いた天皇の歴史に幕が下り、政府は共和制移行を宣言し国名を「日本共和国」と改めた。
 しかし与党内で肝心の憲法改正案が纏まらず、1条から8条までを死文化するだけにとどまり首相公選などは実現しなかった。そのため政局次第で首相がころころ変わる風習は相変わらずで国民の政治不信が即社会不安につながった。また国旗国歌についても天皇制との決別のために日章旗君が代を廃止するも、公募で集められた代替案に反対論が相次ぎ、未確定状態が数か月にわたって続くことになる(そのため国際社会では暫定的にかつて被占領時に使われた国際信号旗Eを基にした旗を掲揚していた)。
 それから半年の間社会不安が続いた頃、かつて天皇の娘と婚姻した中国籍代議士が東連党の後押しを受けて首相に就任する(廃止されても依然として影響力を持つ皇室と関係を持っていた彼は日本中から圧倒的な支持を獲得していた)。彼は東連党の党旗を国旗とし、東亜総連歌「われらがこの地を征す」を国歌として決定し、逆らう者を東亜総連の圧力によって封じていった。その後首相は戦争で疲弊する祖国を手助けするため、同国軍と自衛隊との相互防衛を実現する「アジア平和支援法(平和法と略する。内容はかつての安保法制より集団的自衛に踏み込んだ内容となっており本格的な対中軍事同盟を志向したものだった)」を提唱し反対した閣僚を更迭させてまで閣議を断行した。これにかつての難民台湾人、難民ベトナム人、迫害されたインド人の2世や日系ハーフが中心となって反対運動を決起する(平和法闘争と呼ばれる。運動家たちは同法を戦争法や侵略法と呼んだ)。田舎を拠点としていた彼らは自由東アジアレジスタンス(FEAR)を結成し、AIに頼らない農作やものづくりに取り組みつつ、対中不服従を訴え現政権打倒に向けた活動を広げていく。
 これに対し首相は特ヘイ禁を盾にFEARを弾圧し数十万人もの運動参加者を検挙し拘置所送りにした(検挙数が多すぎたので廃校舎などが収容所に改修された)。さらに東亜総連とメディアを通して平和法賛成運動を展開し、反中的なFEARを「反平和主義たる日帝の亡霊」と非難した。結果、それを信じた中国籍住民や高麗籍住民は勿論の事、殆どの日本籍住民もFEARを敵視するようになる。そして、一部過激化した中国籍住民と高麗籍住民、そして衛星党の日本共産党員がFRARに関わる住民を私刑に処し、無関係な神社や寺も「夷民族文化」として標的にして破壊活動を行った(彼らはこれを日本版文化大革命と呼ぶ。この時代、日本籍住民は全体の5割を切っており、その多くが民族としてのアイデンティティを失っていたのだ)。
 この混乱によって数万人規模の死傷者を出したが、法案は満場一致で可決され軍事協力へ向けた動きが変わることはなかった。この時代は国会も地方議会も東連党を中心としたオール与党体制となっており、事実上の一党体制となっていたのだ。その後首相は「日帝の亡霊との戦い」として非常事態宣言を発令し、すでに形骸化しかけていた選挙制度を無期限に停止した。かくして日本は他の中国支配下の国々同様、中国人(漢族)支配の独裁国家へとなり果てたのである。

琉球

 人民選挙によって圧倒多数で中国への編入が決定される。しかし、編入への手続きは受け入れられなかった。この頃の中国政府は周辺国との戦争で余裕がなく、また既に同国を事実上支配下においているので編入の必要性が感じられなかった為である。数年後、財政の立て直しのためにようやく編入と相成ったが、当初琉球側が希望していた琉球省とならず、台湾島を管轄していた台湾省の一部とされた。そして同省の政策によりベーシックインカムが廃止されて、琉球人の多くが台湾内陸部に強制移住させられる。これ以降、琉球諸島は中国海軍支配下に置かれることとなり琉球文化は廃れていくことになる。

●中国

 長年の人民監視と支配によって、都市に住む漢民族を中心に自ら考え行動しない人が増加、結婚しない男女が増える。また都市部での出産は人工子宮を使うのが常識になったため、順番待ちが相次ぎ少子化の深刻化をもたらす。政府は自然出産を奨励し、学校では自ら考える力を養う授業を設けるが、「皇帝と党とAIの指示」を否定することはできないため無意味に終わる(自ら考えられる者は皆海外へ移住してしまった)。
 一方、田舎ではロボット農場が多くを占めるようになっており、天気を操り多くの作物を機械的に採れるようになっていた。しかし収穫の多くが外国への輸出やバイオ燃料にされたため庶民の生活はまったく好転せず、かつての三分の一以下にまで人口が減っていた(都市部と違い中国政府はこちらを一切問題視しなかった)。
 そんな中非漢民族を中心に監視の目をくぐりながら強かに生きるコミュニティが密かに築かれる。一部は日本のFEARと接触しAIに頼らない農業技術を取り入れたり、昔ながらの陶磁器の製造を復活させたりして東南アジアや北東アジアを対象に裏マーケットを形成していた。

●統一高麗

 モンゴルと関連して密売疑惑をかけられたが、多額のわいろによって巧妙に責を免れる。その反面対モンゴル戦に参加することになる。東南アジアの反テロ活動にも多くの人民が駆り出され、資材や費用を肩代わりさせられたので国家財政がひっ迫していった。

●東南アジア

 各地ではイスラム武装組織のゲリラに対処するため中国軍による軍政が敷かれるようになっていた。無謀な森林伐採と開発で深刻な水不足になり、大干ばつによって多数の死者を出した。農業もできなくなったので経済は破綻し、偏見を持つ中国軍人への不満から、温厚なムスリムや他宗教徒もゲリラ戦に参加するようになる。文化も破壊され尽くし、いくつかの地域は完全に中国と同化していた。

●インド

 インド経済は対中戦によって疲弊していたが、ロシアやオーストラリアの支援(中豪戦争でオーストラリアからの支援は滞る)で何とか戦闘を継続していた。インド北東部ではゲリラ戦を主とした作戦が継続的に行われ、沿岸部では海軍が警備と訓練を繰り返していた。産業面では中国に先行されていたニュートリノ通信技術を独自に開発して小型化にも成功する。そして中国が毎年作り出す「改造ウイルス」のワクチンを短期間で作成するビジネスを確立し、オーストラリアやロシアに秘密裏に輸出し大きな利益を上げていた。
 そんな中、内戦を終わらせた北米連合とオーストラリアも交えた首脳会談が実現し対中戦で連携することで一致する(ホノルル会談)。さらにモスクワへも飛びロシアと共同で核の拡大抑止をモンゴルに提供した(ヤルタ宣言)。
 パキスタンとの連携も進み、アフガニスタンタジキスタンキルギスカザフスタンを経由したロシアからの大規模な陸上支援が受けられるようになる(この支援道路は中国の一帯一路と交差しており、時々敵対している国のトラック同士がニアミスする珍しい光景が見られた)。また、パキスタンを拠点する東トルキスタンイスラム武装組織との接触にも成功する。

●オーストラリア

 大陸北部を占拠された政府は北米連合の支援を受ける為、ハワイ州国へ首相が飛び大統領と会談を行った。同時にインド首相とも会談し対中連携強化で一致した(ホノルル会談。ウイルスのワクチンもこの時大量に入手した)。首都キャンベラと大都市シドニーでは米国同様チャイナパージが巻き起こり、多くの中国人が主要なポストから外される。 

●ロシア

  大統領は中国の皇帝との会談で中露相互利益不可侵条約を結ぶが、モンゴルやインドへの支援は絶やさなかった。中国の仕掛ける「改造ウイルス」もインドから入手したワクチンをモンゴルに提供して無力化したのだ。また、同国首脳らをモスクワに招きインドと共同でモンゴルに核の拡大抑止を保証した(ヤルタ宣言)。
 一方、日本に対しては中国軍への協力をけん制するために石油供給を減らすなどした。 

●モンゴル

 軍はロシアの支援の下、開戦初期こそ都市へのウイルス爆撃を許したが、ワクチンを入手していたこともあり、その後は後退をしながらも的確に中国軍を迎え撃った。モンゴル大統領はモスクワへ飛びロシアやインドと会談して対宇宙兵器を含めた核の拡大抑止を確約する(ヤルタ宣言)。これによって中国は先制核攻撃による戦争の早期終結を先んじて封じられてしまった。


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第6章 中印戦争|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■205×年~ 中印戦争

 南シナ海東シナ海を内海とした中国は海軍を増強しつつあるインドを警戒し、航路の完全なる安全を確保するためインド洋へ進出した。最新式の原子力空母を完成させた中国海軍は同艦を含める新設艦隊(南西海艦隊)をスリランカパキスタンの中国海軍基地に配属することを決定する。これにインド政府が抗議の声を上げ両海軍がインド洋で睨みあいになった。

アンダマン海ベンガル湾の戦い

 ある日、中国イージス艦がインドのフリゲート艦を沈めたことをきっかけとしてアンダマン海で海戦が勃発。当初両国の戦力差は拮抗していたが、インド側の軍人の間で謎の感染症が拡散し、戦力低下に陥ったところへ中国軍が攻勢を強めアンダマン・ニコバル諸島を占領してしまう。同じ病気がデリーを中心にインド全体に広がり、インド政府は中国側が提示した停戦案を受け入れるしかなかった。一方、インド海軍を壊滅させた中国海軍はウイルス拡散防止を口実に、インド洋で厳しい海上臨検を繰り返して国籍を問わずインドとの交易を寸断させた(インドを封じ込めて弱体化させる狙いがあった)。

第二次中印国境紛争

 当初、中国皇帝はインド洋を征服した時点でインドと講和を結ぶつもりだった。しかし、迎えたインド特使との会談中に中印国境線に予め控えていた西部戦区の中国陸軍が独断で進軍を開始、破竹の勢いでアルナーチャル・プラデーシュ州を占領していく。これに激怒した特使は「明確な侵略行為、断じて許されず、徹底抗戦する」との声明を発表、停戦の合意は事実上破棄された。
 始まってしまったものはどうしようもないと皇帝は対印戦の継続を宣言。中国空軍のH-20が爆撃を行うためインド領空に侵入しようとする。これに対しインド軍は対ステルスレーダー網とロシアと共同開発した第五世代戦闘機によってこれを捕らえ迎撃を成し遂げた(中国ステルス機撃墜事件)。以降、中印両陸軍が一進一退の攻防を繰り広げ、戦いは長期化する。これが後の中国衰退の原因の一つになる。

宇宙・サイバー大

 21世紀始まって以来の核保有国同士の戦争となったが中国は勿論、インドも原子力潜水艦による報復核を保有している影響で両者核攻撃は控える形になった。その代わり宇宙戦争や熾烈なサイバー戦争が数カ月にわたって繰り広げられ、ケスラーシンドローム(増えすぎた宇宙ごみ同士の衝突によって連鎖的に宇宙ごみが増えること)やIT産業の崩壊が世界経済に大打撃を与える。
 なお、係争地区に隣接していたブータン王国は中国軍に占領された後、略奪と殺戮の嵐に見舞われる(かつて国民の幸福度指数が高かったことから世界一幸福な国から世界一不幸な国になった悲劇として、チベットウイグル内モンゴル天安門、香港、台北事件、ベトナム琉球動乱同様に語り継がれる)。この様子はインドの情報機関によって世界中に余すところなく暴露され、多くの対中非難を誘う結果をもたらした。

その頃、世界は──

●米国

 東西内戦は意外な展開を迎えていた。アメリカ人民共和国では共和国大統領以下重要なポストは全て中国系が独占し、他の民族は支配対象として差別と監視を受けていた。住民が不満を言えば罰せられ、合衆国側へ逃げようものなら裁判もなしに射殺される(東西国境キャラバン虐殺事件)。アメリカ版中華帝国というべき恐怖政治を目の当たりにしたことで米国人の自由を求める民族を越えたアイデンティティに火を点けた。
 その勢いに押されるように連邦政府はついに大規模攻勢を決意、米軍の総力を挙げて共和国攻撃を開始した。しかし海外駐屯を撤退させて以降、軍の装備は陳腐化が進んでおり、かつての3分の1の規模にまで縮小していた(一方の共和国は中国と関係を深め大量の兵器を輸入していた)。
 そこで合衆国大統領はワン元大統領の発令した武装禁止令を撤回、民兵や民間船を率先して投入することを決定した。最新兵器と旧式兵器の戦いとなったが士気の高さの違いから合衆国側が徐々に押していき、共和国支配下の地域が次々と解放されていく。数カ月がたった時にはサンフランシスコ周辺を包囲するまでになっていた。
 これに焦った共和国大統領はサンフランシスコを捨ててハワイに逃れホノルルを新たな首都とした。そして急ぎ北京に飛び、移設されたばかりの国連本部で自国の正統性を主張する。しかし、安保理事会では中印戦争で持ちきりであり、頼みの綱の中国は孤立していた。それでも中国代表と会談し内戦支援の約束を取り付けるが、その時にはハワイ島を合衆国軍が包囲していた。
 結局、ハワイ島に残っていた共和国幹部の降伏宣言をもって内戦は終結した。その後北京に居た共和国大統領は中国に亡命を図るが、連合情報局(旧CIA)に拘束され国家反逆罪の無期懲役に処される。

●日本

 中印開戦時、日本のメディアは中国政府に配慮してインド政府を批判的に報じた。これに乗じて東亜総連が全国規模で反インドデモを実行し、カースト制や女性差別を引き合いに出して反インドキャンペーンを打ち立てる。これに反発したインド国籍住民も反中デモを決行し、一部の保守団体や旧沖縄団体、台湾亡命政府、ベトナム臨時政府、ついには保守系野党や日本共産党の一部党員をも巻き込んだ全国運動を引き起こした(全国中印合戦事件)。
 この騒動に中国政府が強く反発したため、日本政府は急ぎヘイトスピーチ禁止法を改正し特定ヘイトクライム禁止法案(通称特ヘイ禁。政府が指定したヘイトクライムに関する団体を非合法化できるもので後に21世紀版治安維持法と揶揄される)を制定する。そして、反中運動をヘイトクライムとして禁止すると共にその運動に関わったすべての団体を非合法扱いとした。それによって旧沖縄団体をはじめとした多くの団体が解散に追い込まれた他、デモに関わった野党も国政から追放された。その一方で東亜総連は被害者として特別扱いされ、日本社会で支配的な地位に登りつめると共に天皇制廃止へ向けた政治運動を活発化させる。
 国政では勢力を増した東連党が弱体化した日建党と連立し政権与党の座を手にする。そして全国中印合戦事件後、野党を非合化して以降は東亜総連の影響力を武器にして政治の主導権を握っていく(後に大東亜翼賛体制と揶揄される。因みに日本共産党は一部党員を処断することで非合法化を免れたが東連党の指導下に置かれて衛星政党化した)。かくしてオール与党体制となった国会では中国の対印戦を支持する決議がスムーズに採択され、インド洋海戦で中国軍が損害を受けたことから自衛隊による支援が前向きに議論される。
 ある年、今上天皇の娘内親王中国籍代議士との婚姻が成立。この時同議員が天皇制廃止に言及し「結婚後は妻やその家族と一緒に一般のごく普通の生活を送りたい」と発言。このことがきっかけで天皇制廃止が国会の議題に上がり、憲法改正を含めた議論が本格化する。
 インド洋への海上交通が先細りになる一方、ロシアとの間にパイプラインが設置され、石油供給が安定する。国内景気は中国軍兵器の下請けになってからわずかに好転し琉球・高麗に対する賠償金の支払いをついに終える(米国ドルの信用が落ちていたので人民元での支払いになっていた)。また自動化による雇用の先細りの対策として、配給制が実施されようになる(メディアでは遅きに失したと叩かれる)。そして中国本土の鉄不足を受けて鍋や包丁などの金属製品が値上がりし、代わりにセラミック製の鍋と包丁がブームになる。また、鉄筋コンクリートの代わりに東南アジアから輸入した木材を使用した建造物が積極的に作られた。
 なお、貿易企業に勤めていたとある日本人は、東亜総連に迫害されていたインド国籍団体、台湾亡命政府、ベトナム臨時政府の関係者を密かに匿いインドへの亡命を手引きした。後に彼も同国へ亡命し重大な役割を果たすことになる。また、中国企業に買収されなかった一部の田舎では米国の内戦を逃れた日系人たちが迫害されていたインド国籍住民らと一緒にAIに頼らない農業やものづくりに勤しんでいた(これが後の反中団体の基礎となる)。

琉球

 政府から中国の対印戦への支持表明が行われ、反インドデモも盛んに行われる。この運動は国内の中華ナショナリズムを醸成することになり、琉球族の若年層と中国移民を中心に祖国復帰運動(中国編入)を盛り立てる事に繋がった。
 経済はインド洋封鎖の影響で急速に低迷。日本からの賠償が終わったこともあって中国政府に度々援助を依頼していた。また、森を切り開いたことにより水不足が深刻化し日本から水を輸入するようになる。中国軍基地の増築も行われ、対米戦を想定した軍事訓練が年に数回行われた。この時訓練に参加した中国人将官の中には、後に日本の海自を指揮下に置く連合艦隊の政治委員となる人物が含まれており、ここで培われた対米認識が中国と日本の運命を大きく揺るがすことになる。

●中国

 地方党員から始め、国家主席を経て皇帝に就任した慣遠鋭氏が亡くなった。国中が悲しみに暮れ記念日(本来ならば中国建国100周年が祝われる予定だった)が制定され日本をはじめ中国支配下にある国々から哀悼の意が伝えられる。毛沢東の末裔が後を継ぐが皇帝としての資質に欠け、海軍贔屓に不満を持つ陸軍を抑えられなかった。また、後阮自治区での暴動を抑えるのに警備ロボットの数が足りず(鉄不足で生産が追い付かなかった)、陸軍の力を借りるためその要求を丸呑みにする。結果それが陸軍の大幅な予算増大を招くことになり、陸海両面の軍拡で中国を泥沼の戦争へと導く結果をもたらした。
 経済は計画経済で一応の安定はしているが年々増大する軍事費にAIが度々警鐘を鳴らしていた。だが、オペレーターはこの不都合な警鐘を握りつぶし、中央政府には常に「健常」と報告していた。石油資源や核燃料資源は月面基地や極地開発によって潤っていたが、水不足は海水淡水化事業でも追い付かず日本の水源に依存するようになる。鉄不足も深刻化し鉄筋のないコンクリート建築が横行した結果、わずかな地震での倒壊事故が多発する。これに政府は一人あたりの居住空間を細かく取り決めることで強引に解決した(地域によっては一人一畳なところもあり、人民の不満が募っていった)。
 対印戦開戦時、インド側に「神眼」を数機撃ち落とされたことを受けて中国政府は宇宙条約からの脱退を宣言、中国ロケット軍が報復としてインドの衛星を手当たり次第に破壊していく(中印宇宙戦争)。この戦いは数年にわたり続けられ、その結果軌道上がデブリで溢れてケスラーシンドロームが起きる。その影響で計画されていた軌道エレベーターは中止に追い込まれた他、宇宙大国中国の象徴である「天宮」も致命的な被害を被ってしまう(ただ、通信に関しては欧米で開発されていたニュートリノによる革新的な通信技術を買収したので問題なかった)。
 なおインドで流行った謎の感染症は中国軍が開発した「改造ウイルス」であり、東南アジアにおいて実験が繰り返されていた生物兵器である。高熱にうなされた末重度の障害を残す凶悪なウイルスで、解析したインドの研究者が報告書を無料で拡散することで暴露された(サイバー攻撃はその仕返しとも言われている)。
 米国の内乱を受けて北京に移設された国連本部での記念すべき第一回目の安保理は本件と対印戦争に関する中国非難決議だった。決議そのものは中国の拒否権によって退けられるも、メンツをつぶされた形になった中国代表は本部の使用を無期限停止とした。これによって国際連合は事実上活動停止に追い込まれるが、国際社会での中国の孤立は決定的なものへとなっていった(北京、幻の国連本部)。

●統一高麗

 アジアにおける天然ガス需要の好調と弾薬生産量の向上により好景気になるが利益は全て高麗元首とその取り巻きの懐に入るので庶民の生活は全く好転しない。欲をかいた高麗元首は日本に対しまたしても賠償要求を繰り返したが今度という今度は相手にされなかった(核恫喝も試みたが東連党の告げ口で中国政府から圧力を受けて断念)。

 そこで高麗政府はアラブ諸国への核弾頭の密輸計画を実行に移し、モンゴルにも核密売の話を持ち掛ける。これが後の中蒙戦争を引き起こす元凶となる。

●東南アジア

 戦争でインド洋上の航路が一部制限されたことが影響してどの国も深刻な経済難に陥る。そこで少しでも外貨を得るため森の木々を切り倒し大量の木材として中国や日本へ輸出した。しかしこれがもとで砂漠化が進行し、後の大干ばつにて日本産の水需要を引き上げる遠因になった。
 イスラム原理主義の活動が活発化し中国軍へのゲリラが多発する。中国政府は大幅な人員の増加と装備投入を強いられ、対印戦と合わせて軍事費が青天井となっていた。

●インド

 対中戦争と謎の感染症でインド国内の経済成長は低迷するが、むしろ同国民のナショナリズムに火をつけた。海軍が半壊しインド洋が中国海軍に封鎖されてしまうが、多数配備された対艦兵器のお陰で海岸への接近は阻止している。また、対衛星兵器で「神眼」やGPS衛星「北斗」を機能停止に追いやり、それらに誘導を任せた対艦弾道ミサイルを封じることにも成功する(だが報復として自国の衛星を破壊された)。これ以降衛星を打ち上げては撃墜しあう「宇宙戦争」が勃発し、数年後ケスラーシンドロームによって殆どの衛星軌道が使用不能になるまで続いた。そして研究者たちは謎の感染症の正体を突き止め、世界中に暴露すると共にワクチン開発へ力を注ぐのだった。
 一方、民間レベルでは多くの勇敢なインド人が小型船でインド洋に繰り出して密輸をしたり、東アジア新秩序管理下の船(中国共産党支部を社内に設置し東シナ海及び南シナ海の通行を許された交易船の事)を襲ったりと草の根の抵抗を続けていた。また、台湾やベトナム政治団体も受け入れ、インドは「アジア最後の砦」と呼ばれるようになる。そして、ロシアやオーストラリアの支援を秘密裏に受け続け、再起へ向けた準備を着々と続けていく。
 そんな中、とある亡命日本人の計らいで長年対立が続いていたパキスタン(中国軍基地での中国人の振舞いに国民の不満が爆発し親中を貫いていた政権が倒された)との関係改善が実現し、これが後に対中戦の切り札になる。

●オーストラリア

 政府は中国軍のインド洋支配に懸念を表明し、中国政府に同海域の自由な航行の保障を求めるが無視される。政府は同国のオセアニア進出を警戒し水面下でインドへの支援を行う他、国軍にはインド洋にて航行の自由作戦を実行させる。この時、米国は内戦の最中だったため、できる事に限界があったのである。
 一方、国内では長年続く干ばつにより水不足が慢性化し、日本からの水資源輸入が畜産業にとって死活問題になりつつあった。また、地方行政や企業において主要ポストを手に入れた中国移民が、母国の影響力を笠に着て傍若無人に振舞ったので、国民や他の国籍住民の不評を買っていた。

●中東

 アラブ諸国は大国イランに対する対抗と、中国の資源開拓による石油需要量減少に伴う体制維持の策として、必要最小限の核保有(統一高麗から密輸)が相次ぐ。これによって体制保証を口実に軍を中東に駐留(米国の中央軍に対抗してシルクロード軍と名付ける予定だった)させ、一帯一路で形成した影響力を確固たるものにするという中国の世界覇権戦略が暗礁に乗り上げてしまう。

●ロシア

 政府は中国の領土拡張政策を警戒しその緩衝国としてモンゴル国を支援した。また、中国と戦争状態にあるインドにも支援を行った。この時、中国が作った改造ウイルスのサンプルを密かに入手していた。

●モンゴル

 モンゴル政府は長年、北朝鮮時代から交流のある統一高麗と良好関係にあり、年々増大する中国の覇権主義に警戒感を抱き、独立を守るためのパートナーシップを結んでいた。ある年、高麗政府から核密売の提案を受けるも、モンゴル非核地帯を理由に断った。しかし、これが「モンゴルが核密輸を計画している」という誤ったデマとして広まり、新皇帝に目を付けられてしまう。


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第5章 第三次中越戦争|シミュレーション戦記

※この作品は2019年の過去ブログに掲載された作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。史実と異なる上、実際の人物、国、民族は関係ありません。

■204×年 ベトナム動乱(第三次中越戦争

 南シナ海を中国に支配されて十数年、ベトナムでは沿岸域を中国船が我が物顔で通るのを同国民が苦々しく思っていた。ベトナム政府は中国に配慮して反中感情を抑圧し、交易を行うために通貨を人民元に換え、政府内にも中国共産党支部の設置を受け入れていた。その上一時的な中国軍艦の寄港まで認めており、快適な宿舎も提供するなど自国軍よりも優遇していた(あくまで政治ポストがベトナム人であり続ける為の苦肉の策だったと言われる)。

ホーチミン運動

 だがある日、一人のベトナム人少女が中国軍人の暴行を受ける事件が起こり、反発した国民がベトナム最大の都市ホーチミンで反中デモを決行し中国企業に対して破壊活動を行った(建国の父ホーチミン氏の肖像画が掲げられたことから、ホーチミン運動と呼ばれる)。中国政府が懸念を表明したので、ベトナム政府が軍をして鎮圧に当たらせるが収まるどころか、軍人の中からもデモへ参加する者が現れた。やがて運動はベトナム全土に波及し、中国に従属的な政権を倒すため軍民一体となって各都市の空港や港を占拠するに至る(一説には一部の軍事基地も占拠されており八月革命以来の革新運動と記録される)。

中国軍海兵隊

 これに焦ったベトナム政府が中国に支援を求めると、待っていたかのようにベトナム近海に展開していた南海艦隊が動き出す。まず、AI搭載型無人ステルス戦闘機「利剣」で反政府団体に占拠された軍事基地や空港を爆撃した後、拠点のホーチミン市海兵隊がなだれ込むように上陸して瞬く間に制圧した。さらに自国民保護を口実として混乱するベトナム軍を攻撃し他の都市も次々と占領下に置く(陸軍や空軍を極力参加させない海兵隊を主力とした作戦。これは海洋大国を名乗り上げる為中国政府が計画した実戦訓練であり、ベトナム人少女を襲った中国軍人たちも当局の工作員だった)。そして数週間後、中国軍はついにベトナム全土を占領した。この侵攻によりベトナム人数十万人が犠牲となり、後にチベットウイグル内モンゴル天安門、香港、台北事件に続く悲劇と語り継がれることになる。

ベトナム併合

 意図せず国土を占領された形となったベトナム政府は抗議するも、中国側は「ベトナム自治能力なし」と一方的に判断を下し破壊騒動の責任として同国国家主席を拘束。その後、自国高官らを臨時政府として配置し「後阮人民共和国」としての再建を目指したが、国際社会が承認しないと分かるや雲南省の管轄とした(後に南北分割して南側を後阮自治区とした)。中国軍の殺戮、支配を逃れようと数百万人規模のベトナム難民が海外へ移住を果たす(ベトナム難民問題。日本大使館にも多くの移住希望者が連日詰め寄った)。
 しかしその後、後阮自治区では迫害されたベトナム人による暴動やゲリラが頻溌するようになり、20年間にわたって駐屯していた中国軍を悩ませ続けることになる(後のベトナム正史ではこのゲリラ戦の期間も含めて第三次中越戦争としている)。

その頃、世界は──

●米国

 ワン大統領以降、政治は混乱の極みにあった。大統領選は民族間の対立が表立って出るようになり、暴動やテロが頻溌した。ワン氏の後に当選したアングロサクソン系大統領は強烈なチャイナパージを実行し、中国人と高麗人は勿論の事同じモンゴロイドであるモンゴル人や日本人までも差別と迫害の対象にした。
 これに中国人と高麗人が反旗を翻し、サンフランシスコとその周辺を占拠して独立国家(アメリカ人民共和国)の建設を宣言した。そして3Dプリンターで作った武器で武装し、アングロサクソン系を“領土内”から追放した(サンフランシスコ事件)。この事件に対し連邦政府が鎮圧を指示、米軍が対象地域を包囲して厳戒態勢をとる。しかし民主国家としていきなり掃討戦を実行することはできず、不毛に4年が過ぎてしまう。
 次に当選したヒスパニック系大統領は独立を主張する団体(分裂主義者)に対し宥和的な態度を示した。これにアングロサクソン系国民が反発し何十年振りかの大統領暗殺事件が起こる(CIAの仕業と噂されている)。それが決定的となりヒスパニック系住民やアフリカ系住民、ハワイ原住民も国家建設を主張しアメリカ全土を巻き込む内部紛争が始まった。分裂主義地域は3Dプリンター兵器でいち早く軍事国家となったアメリカ人民共和国と同盟を組み、その後“併合”される。これによって同新興国は勢力を拡大し、アラスカを除く米国西側やハワイ諸島を手中に収めるようになっていった(米国東西内戦)。
 米国内戦の影響で国連本部はニューヨークからの移設が議論され、中国政府の後押しを受けて北京に移設されることが決定した。結果、中国の影響力がいよいよ強まり、同国によるベトナム侵攻は事実上黙認されたのだ。また、長きにわたる孤立政策によって米ドルは世界で流通しなくなり、国際金融市場においてもデジタル人民元が支配的地位に上り詰めていた(ただし中国支配下以外の地域では元の信頼も心許ない為、貿易商の間で独自の取引が行われていた)。
 なお内戦中国内企業は軍事分野での特需にわき、州兵の採用も拡大して失業率は奇跡的に下がる。また、サイバー攻撃も日常的に行われたため、AIに頼らないものづくりや農業が見直されていった(このことは後に結成される日本の反中団体に大きな影響を与える)。ただ、兵器の生産に関しては銃や戦車などの陸上兵器の開発に偏り、駆逐艦や空母などといった海上兵器は作られなくなった。軍用機も質より低価格が求められ、かつて世界最高水準を誇ったステルス戦闘機も過去のものとなった。その一方で原子力潜水艦だけは核抑止を維持するためひたむきな整備と更新が続けられ、後の世界大戦で大いに活躍することになる。

●日本

 かつての最大与党であった自民党が数年の間に内部分裂し、右派や保守派が孤立して数十人規模の弱小野党となっていた。一方、親中派共産党を除く野党連合と合併して政権与党である日本再建党(日建党)を作り日本再建に専念していた。この頃の日本社会では反中のレッテルを張られることを嫌忌され、首相や大臣となりうる議員は毎年中国皇帝に面会が出来る者とされていた。そこに東亜総連の支援を受けた東連党が議席を増やしていき、最大野党としての存在感を確かなものとしていく(一方日本共産党は日建党と中国資本の癒着を批判した結果反中のレッテルを貼られて衰退する)。また、地方自治体のほうでも東亜総連系の地方政党が多数を占めるようになり、他の地方政党を駆逐していった。
 教育は中国の意向に合わせた自虐史観となっており、聖徳太子は存在せず「日出る国」の手紙はなかったことにされている。また元寇元朝の偉大なる"中華民族"の日本解放の試みとされ、朝鮮"侵略"では明に大敗した豊臣秀吉が三跪九叩頭の礼で反省したと教えられる。さらに明治時代の日本は天皇絶対王政を布いた「日帝時代の暗黒社会」を築いたとられ、第二次世界大戦の残虐で極悪非道な振る舞い(南京大虐殺では百万人以上虐殺し五十万人以上の女性をレイプしたことになっている)を指揮したのだと暗記させられる。そして東亜総連のチラシが配られ、天皇制廃止運動への参加が推奨された。
 ある年、今上天皇の娘内親王が東連党主催の交流会で出会った中国籍代議士と交際していることが発覚。メディアや外国籍住民が日中友好の象徴として肯定的に受け止める一方、保守派の日本人は強く反発し彼女の皇籍離脱を求めるデモを開始する。だが政府は「皇位継承の安定化」を主張し、保守派や宮内庁の反対を押し切って女系継承を容認する談話を発表した。この事件は長らく続いていた日本人の皇室支持を減らす結果をもたらし、後の天皇制廃止につながった。
 敗戦から奇跡的な復興を成し遂げるが経済は好転せず、多くの国内企業は経営のために組織内に中国共産党支部を受け入れざるを得なかった。また、海洋資源の利用が制限されて日本の漁業は全滅し、代わりに中国漁船が日本の経済水域関係なしに漁をするのが当たり前になる。これによって日本の食卓から国産の魚が消えた他、幾つかの魚種が絶滅してしまい魚食文化そのものも衰退していく。
 地方では中国国営企業による土地買収が進み、中国籍知事や市長が母国から積極的に移住者を招き入れたことで、中国人が多数派となる地域が増える。その地域では日本人(日本族と呼ばれる)が差別と迫害の対象となり、学校では日本子女に対する虐めが横行する。日本人出生率も相変わらず1未満を推移したままであり、台湾や今回のベトナム難民を大量に受け入れた事もあって、国内の外国籍住民の割合が全体の4割を越えるようになっていた。
 なお、反中のレッテルを張られた日本人の一部は中国の秘密警察に連れ去られ、拷問や強制労働に従事させられた。また、とある中国国営企業は日本の水源を独占し、本国や水不足の国々に良質な水を輸出する事業で巨万の富を得た(対称的に水源を奪われた地域は慢性的な水不足に苦しみ続けた)。この水産業は今後の日本の中心的産業になると共に、後の中豪戦争の引き金を引く遠因になる。

琉球

 本島では中国人の移民が増え琉球族(旧沖縄県民)が人民全体の半数未満になっていた。学校では中国化教育が薦められ、琉球語は日本語や米語の影響を受けている為嫌忌された。また、歴史教育でも琉球処分は帝国日本が当時の中国から琉球を奪った事にされ(琉球族の祖先は漢民族であるという漢琉同祖説)、米国による統治は勿論日本への返還も非合法であったと教えられる。そして、中日戦争のおかげで解放されたとして、毎朝北京の方角へ向かって感謝の文言を復唱させた。
 経済は中国同様計画経済となっており、ベーシックインカム制度が導入されている。しかし給付金を受ける条件として私有財産を制限され、政府が指定したアパートの住むことを義務付けられる。再開発は地方まで広がり、森が切り開かれて昔ながらの家屋も壊された。この強引な開発に琉球族の中年層と年配層に不満が募っていた。
 そこへ、琉球政府が中国駐屯軍の要求を受けて基地の増築を決定した結果彼らの反発を招き、かつて米軍に対してやったような反基地闘争が始まる。琉球政府は彼らを「ヤマトンチュ右翼の残党」として容赦ない検挙を行った。だが、道路に(妨害のため)寝そべった老婆を若い中国軍人が意図的に装甲車で数度にわたりひき殺した事がきっかけで、とうとう全島規模で流血を伴う暴動に発展してしまう。
 こうなるといよいよ警察で対処できなくなった政府は非常事態宣言を発して中国政府に支援を要請した。要請を受けた中国政府はすぐに駐屯している中国軍を以てして暴動を容赦なく弾圧(琉球動乱。チベットウイグル内モンゴル天安門、香港、台北事件、ベトナムに続く虐殺事件)した。
 事件後、琉球政府は政策指南役の中国高官に再発防止のための改革を迫られるが、議会は暴動の再発を恐れて遅々として動かなかった。これに業を煮やした中国政府は非常時の琉球が中国に統治を委託する事を定めた中琉国家安全条約を結ばせる。条約締結後、既に非常事態宣言下の国内では琉球族への監視が厳しくなり国外への渡航禁止や出版禁止など、さまざまな制限が課された。その一方で若年層の琉球族は闘争に参加しなかったので漢民族と同等の扱いが維持され、世代格差が深まっていく。
 なお、内政自体はこれまで中国政府の干渉を受けながらも県政時代の議会制を継続していた。だがこの中国信託統治が幾度も延期されたことでこの制度が有名無実のものとなり、それが中国に編入される日まで続くことになる。

●中国

 年々の軍艦の増産の結果、海軍はかつての米国海軍を遥かに凌ぐ規模になった。しかし、それによって金属などの資源不足が深刻になり、帝政以前の産物である鬼城(過剰生産により建設が先行した計画都市で買い手がつかずにゴーストタウン化した場所)の無許可の解体、資材回収が相次ぐ。
 経済はAIによる計画経済の成功もあって、人民元が東アジアでの基軸通貨の地位を確たるものにする。宇宙開発も新たな局面を迎え、原子力スペースシャトルが開発された他、資源目的の月面基地小惑星資源採取も実現させて宇宙を事実上支配下に置く(軌道エレベータの建設計画もあった)。北極や南極の資源開発にも貪欲に取り組み、それが近隣諸国との軋轢をもたらしていた。
 留まることを知らない成長に世界中が称賛するが、その実情は8割以上が自動化されたAI企業によって支えられており、雇用市場は崩壊していた。そのため都市に住む人民はベーシックインカムに依存しており、皇帝と一部の共産党員以外は皆下流層になっている。教育も思想矯正が主たることとなり、人民の間で理科離れが深刻化する。
 一方、田舎に暮らす人民の生活は配給制によって支えられた。しかし、漢民族が常に優先されそれ以外は十分な配給を得られなかった。貧窮層を中心に不満が蓄積するが、この頃は銃武装した警察ロボットが常時配備されていたので、暴動の類はすべて鎮圧されていた(しかし、編入して間のない雲南省後阮自治区では警備ロボットの数が足りず、軍の介入を必要とした)。
 AIの開発が2030年代にひと段落したので、慣皇帝は医学分野での発展を指示していた。その結果、人工子宮が実用化して漢民族を中心に利用されるようになった。クローン技術の研究も行われており、皇帝が不老不死について研究させていると言う噂が流れる。一方、宇宙では天宮に増設された物資投下システムが核弾頭を投下できると話題になった(実際に核弾頭が搭載されることはなかった)。
 対越戦中、南部戦区の陸軍に加え西部戦区の陸軍が中越国境に配置されていた。これは南海艦隊の拡充のために南部戦区陸軍の縮小が進んだ結果である。戦後、南部戦区軍はベトナム占領の任を得たが西部戦区は出番がなかったため、同戦区の政治委員は不満を募らせていた。これが後の対印戦の泥沼化を引き起こす原因になる。

●統一高麗

 南部の暮らしも北部の暮らしと同じ位になり、人口も減って同程度になっていた。平壌では高麗元首一族とその取り巻きが相も変わらず贅沢三昧な暮らしをしており、毎年8月15日の光復祭では模擬弾頭のノドン弾道ミサイルを日本本土に打ち込んで祝っていた(日本ではその度に大騒ぎになっていた。模擬弾頭を使ったのは人道的理由が建前だが財政的事情が主である)。
 長年石炭を採掘していた産炭地がほぼ枯渇するが、メタンハイドレート採取事業を日本海全体に拡大することで、天然ガス生産量を大幅に増やしていた。そして中東やアフリカの国々と核密輸の商談にこぎつける。

●東南アジア

  東南アジア各国の主要港湾には中国海軍の基地建設が完了し、名実ともに中国の牙城と化していた。各海峡の通航が管理され、国籍を問わず中国共産党支部を社内に設置した企業だけが、南シナ海を通って交易することができた。これは中国政府が貿易を支配するだけでなく、デジタル人民元を世界的基軸通貨にするための信頼性を担保させる意味もあった。
 度重なる中国政府の干渉によって各国の自国通貨が完全に廃止され、中国のAIに支配された計画経済の一部にされていた。毎年のように新型ウイルスが発生し、なぜか原住民のみが感染する現象が起こっていた(アジアウイルスの怪。これがベトナム軍における戦闘力の低下をもたらしていた)。生産性を補うために受け入れた中国系移民によって土地が買い占められ、強引な開発が押し進められていく。政治面においてもタイやカンボジアでは君主制が廃止された他、多くの国で主要なポストは全て中国移民が牛耳っていた。それ故、中国人を優遇した政策が当たり前になっていた。
なお、同諸国に駐屯していた中国軍は須らく治安維持も担うようになり、フィリピンではモロ・イスラム解放戦線と、インドネシアではジェマ・イスラミアと戦い多くのムスリムを虐殺していた。このことは中東やアフリカのムスリム諸国に警戒感を懐かせる要因となる。 

●インド・パキスタン

 インドでは年々中国海軍の動きに警戒感を募らせ海軍を着実に増強させていた。また、沿岸域に対艦兵器を多数配備し独自の接近阻止・領域阻止を構築していた。その上、ロシアからステルス技術の移転を受けて第五世代戦闘機の開発を成し遂げ、対ステルスレーダー網の構築等も進めていく。さらに中国の宇宙兵器に備え対衛星兵器を開発していた。
 外交では対中を睨み英国の協力を仰ぐが色よい返事は貰えず、代わりにロシアやオーストラリアとの連携を深める。また、債務で中国に海軍基地を建設されたスリランカと秘密裏に会談を開くが具体的な対応策は決められなかった。
 一方、中国と準同盟関係にあったパキスタンは拡大するインド海軍に危機感を抱いていた。同国は十年前に中国から正規空母遼寧」と殲15艦上機の供与を受けていたが、艦上機の発艦重量が乏しい上艦そのものの維持費が嵩んで満足な運用ができずにいた。そこでパキスタン政府が中国に改善を求めたところ、さらなる軍港の拡張工事を提案され、そこを新設の中国海軍南西海艦隊の拠点にされてしまう。このことは政府の一部高官に不信を抱かせたほか、パキスタン軍の不評を買った(特にパキスタン軍は不良品空母を掴まされたと憤慨していた)。また、湾港周辺では植民者気取りの中国軍人が住民とトラブルを起こす事件が増えており、現政府への不満が募っていた。

●ロシア

 長年、ロシアのジーミル大統領は超大国米国の弱体化のために中国と連携し、アジアからの米軍撤退後も自らの権力維持のために中露蜜月関係を維持し、欧米と対立していた。しかし、そのジーミル大統領が死去することでロシアの対外政策は徐々に変容し、欧米との関係改善が進むようになる。一方で中国とは北極圏の資源開発をめぐって次第に対立するようになり、同国の海軍力がかつての米国のそれを上回ったことで危機感が芽生えた。そのため敗戦後、長らく経済低迷に陥っていた日本の支援をしたり、インドと秘密裏に連携をしたり工作を活発化している。

●中東・アフリカ

 この時代、アラブ・アフリカ諸国には核保有し大国へと成長したイランに対する警戒感が高まっていた。特にアラブでは資源枯渇による年々の石油生産量の減少から、体制維持にも不安が出始める。そこへ長年一帯一路で経済支援してきた中国が軍の駐留による体制保障を打診してくるが、同国軍のムスリムに対する虐殺を見ていた各国は受け入れに消極的だった。その時統一高麗から核兵器の密売を持ちかけられ、多くの国々が興味を持つ。


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