ハトヤブの考察レポート

世の出来事の根本を掘り出して未来を予想する

変革の時が来た: 本当の平和憲法を作ろう!

これは大丈夫、ここは平和です

 皆さんこんにちは、ハトヤブと申します。今日は憲法記念日ですね。日本国憲法が施行されて77年です。時は移ろい、変わらないものもありますが、変わるものもあり、変えねばならぬものもあるのが世の中です。時には常識を疑う勇気も必要です。

 日本国憲法が「平和憲法」であるということは日本国民の誰もが信じて疑わない事であり、それを改めることを頑なに拒否する人が左翼だけでなく「保守派」にも多いです。その心髄とも呼ばれるのがお馴染みの第9条です。

    第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 彼らは言います「平和憲法こそが日本の平和を守ってきた」のだと(これを本気で主張する人が自民党の中にもいます)。最近はそれに疑義を唱える者も出てきてはいますが、せいぜい「変えたほうが良い」程度にしか発信できないのが現状です。

 けれどまさか「日本国憲法」こそが近未来に戦争を引き起こす「呼び水」になっているとしたらいかがでしょう?それでも守り通しますか?今回はそれについて考察していきましょう。

 マッカーサーノートの真意

 最初に日本国憲法の成立過程からおさらいしていきましょう。

 戦争で敗北した私たちは主権を失い、アメリカを主体とする連合国軍総司令部GHQ)の統治下に置かれることとなりました。GHQは我が国を“民主化”すると称して陸海軍の解体、財閥の解体、皇室宮家の削減、行政機構と諸制度の改革ないし破壊を行いました。その集大成としてGHQが力を入れたのが大日本帝国憲法の改正でした。

    Failing voluntary action by the Japanese to this end the supreme commander should indeicate to the japanese suthorities his desire that japanese constitution be amended to provide(出典:Politico-Military Problems in the Far East: Reform of the Japanese Governmental System (PR-32),1945.10.8.,日本国立国会図書館HPより)

 これは1945年10月8日、合衆国の国務・陸軍。海軍調査委員会の下部組織である極東委員会で出された資料の一文で「日本の自発的な改革が望めない場合に最高司令官が憲法改正によってこれを行う」という意味です。これの何が問題かというと、ハーグ陸戦条約違反であることが挙げられます。

    ハーグ陸戦条約
    第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。

 なお、本条約の主語が「交戦当事国」とあることから戦後は含まれないという主張があるようですが、これは間違いです。なぜなら戦闘が終わっていても当事国間が平和になっているとは限らず、それを明確にするのが「講和条約」だからです。つまり、日本とアメリカは1951年9月8日に署名され、1952年4月28日に発行されたサンフランシスコ講和条約が出るまでは「交戦当事国」ということになり、ハーグ陸戦条約の適応対象となるのです。そうでなければ敵国を征服しさえすれば勝った側はやりたい放題となってしまいます。もともとそれを防ぐための条約です。まあ、守れてませんが。

 それはともかく、アメリカが日本の憲法を変えるにあたって、日本側が出した草案をすべて蹴って押し付けたのがマッカーサー草案です。その条文の一つを見ればなぜアメリカが条約違反を犯してでも憲法改正を断行したかがわかります。

    War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
    No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

(筆者訳:国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争を解決や自らの安全を守るための手段としてもそれを放棄する。それは今、安全保障において世界の潮流にある崇高な理想に基づいています。
日本陸軍、海軍、空軍は決して認可されず、日本軍に交戦権は与えないだろう)

(出典:   [Three basic points stated by Supreme Commander to be "musts" in constitutional revision],1946.2.4.,日本国立国会図書館HPより)

 これこそが日本国憲法第9条の原点であり、GHQの本当の狙いです。内容は現在の9条と同様に「国際紛争の解決のための戦争放棄」と「戦力不保持」が謳われていますが、それに加えて”even for preserving its own security”「自らの安全を護る目的でさえも」と書かれています。つまりアメリカは日本に自衛もできない国になって欲しかったのです。その理由は極めて単純で「二度と日本がアメリカや西欧諸国の脅威にならないようにするため」でした。戦争に勝ったとはいえ対日戦でアメリカは大きな犠牲を払っていましたから、脅威を永久に取り除いておきたかったのでしょう。日本が有色人種の国だったこともあります(合衆国で公民権運動が本格化するのは1950年代になってからです)。

 それを踏まえたうえで、第三国の視点になったつもりで9条を読んでみてください。

    第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 はい、これを見てわかることは「日本だけが戦争をすることは禁止」ということです。つまり日本との戦争を想定している国にとっては、日本人が憲法を護る限り自分たちは絶対に安全で、やりたい放題できるということになります。また、最初の攻撃は必ず自分たちから打てますから、いざ日本が気に入らないと思えばいつでもタコ殴りにすることができます。かつてのアメリカは日本に対してそういう関係を求めており、それが日本国憲法第9条の本質なのです。

 マッカーサーの呪い

 さて、憲法について少しでも詳しい方(保守派限定)なら「ド素人が、重要な点を見落としているだろ」と突っ込んでいることでしょう。その通りです。今の9条とマッカーサーノートには重大な違いがあります。二つを並べてみてみましょう。

    War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
    No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
    (訳:国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争を解決や自らの安全を守るための手段としてもそれを放棄する。それは今、安全保障において世界の潮流にある崇高な理想に基づいています。
    日本陸軍、海軍、空軍は決して認可されず、日本軍に交戦権は与えないだろう)

 
    第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「理想」云々は戦後当初湧きあがった世界政府思想によるものですから置いときます。重要なのは「自らの安全を守るため」の部分が9条に引き継がれていないことです。そもそも「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」自体は1929年7月24日発行の「不戦条約」を引用したものです。そして第二項冒頭に「前項の目的を達するため、」を追加したことにより、自衛のためであれば最低限の戦力を持つことができる余地を与えました(芦田修正)。これが今日自衛隊が存在できる根拠となっております。

 ならええやないかそのままでもと言いたくなりますが、現実は甘くありません。確かに政府の公式解釈では「自衛は否定されていない」として自衛隊を合憲としていますが、憲法学者や左翼のみならず日本国民の中には「自衛隊違憲」と認識している人がかなりいます。

    産経新聞社とFNNの合同世論調査では、現行憲法下で自衛隊違憲だと考えている人が、実に4人に1人もいることが分かった。憲法学者の世界ほどではないにしても、世論にも「自衛隊違憲論」が根強いことを裏付けたといえそうだ。主要野党は「自衛隊が合憲という認識は広く認知されている」として、安倍晋三首相(自民党総裁)が提案する憲法9条への自衛隊明記案に反対するが、改めて提案の意義が再確認されたといえる。

(出典:【産経・FNN合同世論調査】4人に1人が「自衛隊違憲」,産経新聞電子版,2018.5.21.、

https://www.sankei.com/politics/news/180521/plt1805210024-n1.html)

 アンケートが保守系産経新聞ですから、朝日新聞ともなれば半数以上にはなりそうです。まるでマッカーサーノートの消された言葉を霊視しているかのようです。元帥本人にとっては不本意でしょうが「マッカーサーの呪い」と名付けさせていただきます。
 こうなってしまった理由は戦後教育や左翼メディアなどいろいろ考えられるのですが、知日派アメリカ人弁護士ケント・ギルバート氏は、日本人の憲法に対する認識に原因があると指摘しています。

 1947年5月3日に施行された日本国憲法は、主権者である国民が、直接または代表者を通じて間接に制定した「民定憲法」と位置付けられている。前提として、憲法のすべては法規範で規定されたり、判例憲法慣習によって補充されていくのである。また、民定憲法には「禁止されていないものは許可される」という考え方がある。
    民定憲法の対義が、大日本帝国憲法が属する「欽定憲法」だが、この憲法は「許可が明記されていない限り、禁止」を前提としている。
   (中略)
    日本の憲法学者の多くは、前出の欽定憲法のように日本国憲法を解釈し、「戦争のすべてが禁止されている」と論じる。もちろん、民定憲法であっても侵略戦争は認められないが、防衛戦争や米国がイスラム過激派組織「イスラム国」に行った制裁戦争は必ずしも禁止されるものではない。日本国憲法は民定憲法だが、多くの憲法学者は前提が誤っている。(出典:“限界”を迎えた日本国憲法 「戦争はすべて罪」という誤った教育…堂々巡りする議論に終止符を,zakzak,2021.4.9.,
    https://www.zakzak.co.jp/soc/news/210409/pol2104090002-n1.html)

 アメリカの不当な干渉があったとはいえ、名目上は日本国民の手による改正となっていますから、日本国憲法は「民定憲法」であり、禁止されている事(侵略戦争)以外はできることになっています。しかし「自衛隊違憲」「PKO派遣は違憲」「集団的自衛権違憲」と主張する憲法学者たちは、君主によって制定された「欽定憲法」のように、許可されてない物はすべて禁止と解釈しているというのです。
 それを裏付ける証拠としてアメリカを含め、多くの国々が憲法の修正・改正をしているのに対し、我が国の憲法は1947年に施行されて以降、一度も改正されていません。「不磨の大典」として一切の手を付けられない様は、1890年に施行されて以降敗戦まで一度も手を付けられることのなかった大日本帝国憲法に通じるものがあります。左翼思想を掲げる護憲派たちがそれを後押ししているのですから、何とも皮肉なものです。

 こうした状況を打開するために6年前から「日本の国益と尊厳を護る会」代表の参議院議員青山繁晴氏は「自衛の措置は妨げない」条文の追加を提案しています。これは9条第二項の「陸海空軍その他の戦力」の「その他の戦力」に自衛隊が含まれると拡大解釈できる事と、「国の交戦権はこれを認めない」が自衛戦争も否定しかねない事を念頭に置いたものです。

    自民党青山繁晴参院議員ら有志は1日夕、憲法9条に関する勉強会を国会内で開き、1、2項を維持した上で、3項を新設し「自衛権」と明記する案について「前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない」とすることで一致した。(出典:自民党有志勉強会、「自衛権」明記案で一致,産経新聞電子版,2018.2.1.,
    https://www.sankei.com/article/20180201-RUNN7JVMNZOVXPEN7QIA5UF2LU/)

 例によって野党も公明党も反発しておりますが(自民党にも反対者がいます)、それは先ほどのケントさんの言う通り「欽定憲法憲法」であると共に、自衛を否定した「マッカーサーの呪い」に憑りつかれている状態です。いつまで「昔のアメリカ」の願望に従っているのでしょうね?

 9条に護られるならず者国家たち

 ここまで記事を読んでくださった方の中には「この記事は反米ブログか」と思われる方が出てくるかもしれません。私が右か左か、親米か否かは皆さんのご想像に任せます。しかし、今私が声を大にして言いたいのは「今9条の恩恵に最もあずかっているのは中国と北朝鮮、韓国、ロシア」であるということです。
 もっとはっきり申せば今や日本国憲法第9条は平和どころか、新たな戦争を招き寄せつつある危険な条項となりつつあるのです。
「そんな、まさか」と思われるかもしれませんが、前に指摘したマッカーサーノートの真意を思い出してください。「日本だけが戦争をすることは禁止」とあり、どこにも「日本と戦争してはいけない」という規定はありません。日本人は例によって「許可されてないから」禁止されていると思い込んでいますが、向こうにとっては別に日本の憲法に縛られる道理などなく、力さえ伴えばいつでも戦争を仕掛けることができるのです。
 今までは「世界の警察」アメリカがにらみを利かせており、戦力もはるかに及ばなかったので平和でしたが、これからはどうでしょうか?
 昨年の暮れに中国の現役将校がついに日本との「戦争」に言及しました。

 中国軍のシンクタンク軍事科学院の何雷・元副院長(中将)が9日までに共同通信の単独インタビューに応じ、沖縄県尖閣諸島を巡り「戦争を望まないが恐れない」と明言した。台湾武力統一に踏み切った場合、尖閣を同時に作戦対象とする可能性にも含みを持たせた。軍関係者が尖閣を巡り「戦争」に言及するのは異例だ。将来的な領有権奪取の強い意志が鮮明になった。(出典:尖閣諸島で「戦争恐れず」 中国軍中将、異例の言及,共同通信47NEWS,2023.12.9.,https://www.47news.jp/10243504.html

 台湾統一を掲げている習近平政権ですが、近年はさらに苛烈さを増しております。その勢いで日本に対して「(統一を)邪魔するなら戦争だぞ」と恫喝し、さらに日本の沖縄県石垣島尖閣諸島を「俺のだから戦争してでも取り戻す」と宣言しているのです。この発言に日本は騒然となっていますが、私の見立てではまだまだ抑制的です。彼らは「日本の沖縄領有権」も認めていないので、主張と恫喝は今後エスカレートするでしょう。彼らは9条を日本をフルボッコにするチャンスとしかとらえていないのです。
 他ならぬアメリカの専門家でさえも、日本に9条を制定させたことを「先見性がなかった」と評しています。

    長らく日本社会は米国の安全保障の傘下に置かれ、73年の平和を享受してきた。このため、自国防衛能力を刷新する必要性をまだ認識できていないかもしれない。平和主義の深化により、日本の一部世論は、日本が海外における戦争に巻き込まれることに反対している。
    しかし、この平和は、日米安全保障条約の下で保障されている。米軍には日本をあらゆる状況下で保護する義務があるが、日本は同じことをする義務はない。
    1947年当時、マッカーサー元帥と日本政策担当者たちは、日本が現在見るようなアジアの安定を確保する上で重要なパートナーになることを予見していなかった。このため、9条は近視眼的だったと言える。(出典:憲法9条には先見性がなかった 日本には正規軍が必要=米専門家,大紀元電子版,2019.7.3.,
    https://www.epochtimes.jp/p/2019/07/44452.html)

 この「アメリカは日本を護るが日本はアメリカを護る義務がない」という片務性は「もしトラ」で話題沸騰のトランプ前大統領も指摘していたことであり、多くのアメリカ国民が同じ考えを抱えているならば日本の安全保障は根底から覆ることになります。何せ在日米軍の補完としての活動を前提に自衛隊は組織されているわけです。巷でも増長する中国に関して「米中戦争の危機」などと他人事で、日本はそれに巻き込まれないようにすべきという主張さえあります。実際はアメリカが「日本と中国の戦争に巻き込まれる」ことに戦々恐々としており、抑止のために日本の防衛力向上に期待をかけているのが「現在のアメリカ」なのです。

 所々に影を落とす9条被害

 以上の話を聞いても「そもそも何が問題なの?」と疑問に思われる方がおられるでしょう。「いざというときは自衛隊ちゃんと戦うっしょ」と嗤う人もいるかもしれません。なら9条による具体的な弊害をご紹介していきます。
 まず、最も弊害を被っているのは自衛隊です。自衛隊自衛隊法を根拠に活動をしている訳ですが、その内容は「できる事」を細かく羅列したポジティブリストとなっております。一方、米軍をはじめとした海外の軍事組織は全てネガティブリストで動いています。ネガティブって言葉は悪いイメージをしてしまいそうですが、その肝は「やってはいけない事」を単純明快に並べ、それ以外はすべてやって防衛に当たれというスマートさにあります。
 例えば敵のミサイル一発飛んできただけでも、海外の軍は探知次第即撃ち落とせますが、わが自衛隊は「防衛大臣内閣総理大臣の承認を得て……」などと行政手順を踏まなければならず、その間に着弾☆というコントみたいな状況にあるのです。それも自衛隊が「警察予備隊」をルーツとして警察に倣った法体系を採用したためです。変えようにもそれが自衛隊を「軍」と認めることになるため「マッカーサーの呪い」にかかった人たちが頑固として阻止してくるのです。

 また尖閣諸島問題においても、自衛隊法第80条の「必要とあれば海上保安庁防衛大臣統制下における」も、海上保安庁法第25条の「海保は軍に属さない」によって妨げられる状況にあります。これを改善しようと一昨年に安保三文章改定で有事において海保を防衛相の統制下に置くことが明文化されました。

 3文書のうち最上位に当たる「国家安全保障戦略」は、「安全保障において、海上法執行機関である海上保安庁が担う役割は不可欠」「海上保安能力を大幅に強化し、体制を拡充する」とした上で、自衛隊との「連携・協力を不断に強化する」と明記した。防衛の目標と達成手段・方法を記した「国家防衛戦略」では、有事の際に防衛相が海保を統制下に置く「統制要領」の必要性に触れ「連携要領を確立する」と踏み込んだ。(出典:自衛隊、海保との連携「非軍事性」ハードル,産経新聞電子版,2022.12.21.,https://www.sankei.com/article/20221221-MYBZHNNQVZN6TOXFXAUTSFBNPE/)

 引用元の産経新聞の記事では25条の影響で「掛け声倒れ」の懸念が指摘されています。同条文は「海保の9条」とも言われ、それを守る強い抵抗勢力が伺えます。これも「マッカーサーの呪い」の最たるものでしょう。

「困るのは自衛隊じゃん。外交で解決すれば」と思ったそこのあなた!はい、手を挙げて!そう、あなたですよ?怒らないから。

 実は外交にも9条の弊害はしっかり表れております。ただニコニコして仲良くして日本が支援金を出して……と言ったことはできても、ロシアに北方領土を、韓国に竹島を不法占拠されたまま進展がありません。それどころか中国に尖閣を狙われる有様です。さらに北朝鮮に拉致された横田めぐみさん達をいまだに取り戻せず、被害者家族の方々が会えぬまま老いていくばかりです。国の領土と国民の命がかかっているのに「外交で解決」できないのです。
「これらは難しい問題だから仕方がない」と思われますか?いいでしょう。これはどうですか?2021年、アメリカやイギリスが中国のウイグル人への人権侵害について「ジェノサイド」認定しましたが、日本政府は「認定しない」発言をして物議をかもしました。

 米国務省が中国による新疆ウイグル自治区での行動を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定したことを巡り、外務省の担当者は26日の自民党外交部会で「日本として『ジェノサイド』とは認めていない」との認識を示した。出席した自民党議員からは「日本の姿勢は弱い」などの指摘が相次いだが、外務省側は「人権問題で後ろ向きという批判は当たらない。関係国と連携しながら対応していく」と理解を求めた。(出典:政府、中国のウイグル弾圧を「ジェノサイドとは認めず」 米国務省認定と相違,毎日新聞電子版,2021.1.26.,   https://mainichi.jp/articles/20210126/k00/00m/010/145000c

 その根拠として当局が主張しているのは「ジェノサイド条約に入ってない」であり、その理由が憲法9条です。いかがです?日本の「平和憲法」が弾圧されるウイグル人を見て見ぬふりさせるのです。それって本当に「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」してるんですかね?

 本当の平和憲法を目指して

 敗戦直後、9条が重要な役目を果たしたのは否定しません。当時日本は世界の孤児であり、力による現状変更を試みる「ならず者国家」だったのですから。周辺地域は強い日本を恐れ、何よりもアメリカ自身もその復活を何が何でも阻止することに血道を注いでいたのです。そんな中では「私はあなたの脅威にはなりません」という明確なメッセージが必要であり、そんでなければ天皇制廃止や本土分割という要求を押し付けられる可能性がありました。アメリカも日本には戦闘機開発はさせず、軽工業までに留めた弱小国にするつもりでしたが、朝鮮戦争での需要の高まりから工業化を許します。その背景に憲法9条が重要な働きをしたともいえるでしょう。よく日本共産党が主張する「憲法9条の活用」はすでに行われていたのです。
 しかし時は移ろいゆき、情勢は変わります。もはや日本に軍国主義の面影はなく、アメリカも世界を管理し続けるのも限界が訪れました。それに乗じて中国とロシアが台頭し、新たな覇権主義を振りかざしています。中露が中長期的に画策しているのは両国の生存圏拡大であり、ユーラシアとアジアにおける勢力図の変更です。もっと具体的に申し上げればアジア太平洋から米軍が出ていき中露両軍がそれに取って代わり、最終的には両軍が「日本に駐留」することになります。日本が9条を堅持するならば、それを受け入れることになり、それはアジアにおける「民主主義の完全なる死」を意味します。
 4月11日、国賓待遇として訪米していた岸田総理が米上下両院議会で演説をしました。9年前の安倍総理以来でその時がスタンディングオベーションの大盛況だっただけに個人的に不安でしたが、見事大成功を収めたようです。

 首相の演説は英語で約35分間行われた。議場が最も沸いたのは、日本が米国と共に、国際秩序を守る決意を語った時だった。「日本はすでに、米国と肩を組んで共に立ち上がっている。米国は独りではない。日本は米国と共にある」と語りかけると、議場は大きな拍手に包まれた。(出典:岸田首相演説「日本は米国と共にある」、十数回のスタンディングオベーション…米議会分断もチラリ,読売新聞電子版,2024.4.12.,https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240412-OYT1T50080/)

 岸田総理と安倍総理の演説内容をそれぞれ読んでみれば「これはアメリカの心を掴みに来ているな」とはっきり伝わってきます。安部さんが「希望の同盟」で日米の未来を提唱し、岸田さんは共に世界の秩序を護る「グローバルパートナー」へ昇華させました。この両演説は日米同盟の深化で一貫しており、中露の望む勢力図の変更に抗するものです。今後中露両国との外交は厳しいものになると予想できます。

 最後に彼らの演説を読んで気が付いたことがあります。演説の内容はアメリカの役割を日本も担うことが言及されており、護憲派に言わせれば「9条精神に反する」ように見えますが、語られている理念はむしろ日本国憲法前文の精神を代弁していることです。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の下りは保守派にはお馴染みのなじりネタですが、その次の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」の部分は今の中露に真っ向から刃向かう動機付けになり、「名誉ある地位を占めたい」はまさにそれを主導するアメリカのグローバルパートナーそのものです。さらに「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」は積極的平和主義であり、左翼が違憲と主張する集団的自衛権に該当するのではないでしょうか?そして我々国民は「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ことを誓わされているのです。こう考えれば「日本を戦争に巻き込む」などと批判される安部・岸田両政権で進められる全力をあげた日米一体化も憲法に従った結果といえます。
 しかしこのままでは77年越しに残された「マッカーサーの呪い」によって、日本の安全保障政策は深刻な自己矛盾に陥ってしまいます。憲法前文の「崇高な理想」のために足かせとなる9条を死文化するか、9条を守るために中露の「専制と隷従、圧迫と偏狭」に屈するかのどちらかを選ばなければならなくなるのです。このパラドックスをクリアするためにも、変えるべきところは変えて「本当の平和憲法」を作りませんか。